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恵庭市

100年続いた農園を次世代へ 島田農園がつくるワクワクする恵庭

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100年続いた農園を次世代へ 島田農園がつくるワクワクする恵庭

恵庭市事業者の想い

文:髙橋さやか 写真:斉藤玲子

恵庭の市街地から車で30分ほど行くと、おだやかな田園風景が広がる林田地区。この土地で農業を営む島田農園は、大正9年に富山県から移り住み、北海道のきびしい開拓時代を乗り越え、100年に渡って米づくりをつづけてきました。島田農園5代目として、さまざまな挑戦をつづける島田龍哉さんにお話をうかがいました。

生まれ育った恵庭をもりあげたい

ーー島田さんはもともと恵庭のご出身で?

島田:はい。もともとここで生まれ育って。僕、恵庭が大好きなんですよね。高校卒業して、ハワイに1年間農業研修に行きました。帰ってきて19の時から農業やってます。

ーー子どもの頃から実家をつごうと?

島田:そうですね。中学校卒業したらやろうと思ってたので、岩見沢の農業高校に行きました。もともと農家というか、「ものをつくって人にやる」っていうのが好きなんですよね。

農家をやっていく中で感じたのが、ものをつくるって相当技術とか忍耐が必要だということ。ハワイで農業研修を受けてきましたけど、ここで経営するとなると、また難しかったですね。「これは本当に自分がやりたいことなんだろうか」と思ったり。楽しみながらやるにはどうしたら?と考えていました。

恵庭には、余湖農園さん、寺田牧場さんなど、独自の経営をされている先輩がたくさんいて。楽しそうだし、面白そう。なんであんなに生き生きしてるんだろう?って。そう思って、側から見てたってあんまりわかんない。
農業はじめた頃は、レールに乗ってればいいと思ってたから。そこから、中小企業家同友会でいろんな人と出会ったり、青年会議所※に入って5年間もがいた中で、道が見えて。シンプルに、楽しく農業やればいいんじゃないって気づきました。

もがいた5年間があったから今がある

子どもの頃から農業をめざして継いだ農業。一方で、「これは本当に自分がやりたいことなんだろうか」と自問自答した島田さんの転機となったのが、青年会議所での5年間でした。

ーー青年会議所で5年間もがいて、とのことですがどういった活動をされたのでしょう?


島田:青年会議所は、とにかく学びの場。とにかく何かやるために頭絞って考えて。もんのすごい忙しくて、てんてこまいでした。笑

当時、農業の方も、もともと米と花だけだったのが、野菜も取り入れようと7品目くらいつくって。面積も30ヘクタールだったのが、60ヘクタールを超えるまでに増えて野菜をつくったけど、間に合わなくて。働いて働いての毎日でしたね。

青年会議所では、デザイン系のソフト使ってチラシをつくったりもしました。自分の本業は、農業なのか青年会議所なのか、わけわからなくなるくらい。寝る間もおしんでやってましたね。

島田:40歳で青年会議所を卒業した頃に、「米農家だったら酒つくらない?」と声をかけてもらったんですよね。市役所や、いろんな人の協力があって「絆の花」というお酒ができました。樽もつくってね。その後、和田義明衆議院議員との出会いから、当時の安倍首相にお酒を届けにいく機会をいただきました。

ーーそれはすごいですね。

島田:青年会議所では、とにかく地域の人たちをどう喜ばせるかを必死に考えて、大切にしてましたね。青年会議所で立ち上げた事業のひとつに、子どもたちが出演する現代版組踊の舞台があるんです。もともとは、沖縄の伝統芸能の「組踊」をベースにしてて、現代的な音楽や踊り、せりふを取り入れた構成の演劇みみたいなものですね。これを恵庭でもやってて。

「絆花~中山久蔵翁物語~」といって、北海道ではじめて米づくりに成功した中山久蔵さんをテーマにしています。これに関わる中で、先輩と「何のためにやるのか?」という話になったんですよね。その時のひと言が衝撃で。「明るい社会をきずくために」って。
「何のために?」にと問いかけた時に、「まちづくり」とかってよくありますけど。「明るい社会のために」ってすごいなと。子どもが変われば、大人が変わる。大人が変われば、地域が変わる。地域が変われば社会が変わるってね。目の前がパーっとひらけた感じでした。

打率1割でも、その達成感がよろこびになる

青年会議所での学びが大きな転機となった島田さん。取り組みの幅は、日本酒や演劇だけでなく、恵庭の友好都市である静岡県の藤枝市と組んだ玄米茶、6次産業化のお菓子づくりなど多岐に広がっていきます。ついには、恵庭の道の駅にハロウィンかぼちゃ2015個を並べ、ギネスの記録を樹立したのです。

ーー幅広い活動の原動力ってどこから来るんでしょう?

島田
:青年会議所での人との出会いはでかいし、そのつながりが今に至ってますね。「とにかく何かやらなきゃ」のマインドが板についたんだと思います。当時の5年間は辛かったぁ。とにかく、目の前にある仕事を片付けるのに精一杯。嫁や家族に怒られるし、農作物はとれないし。「何がうまくいかないんだろう」ってずっと思ってました。

青年会議所を卒業して時間ができたら、経営や作物について考えるようになって。そうしているうちに、自分のやりたい道筋がクリアになりました。「おれはコメをつくればいいんだ、コメで恵庭をもりあげればいいんだ」って。

島田:趣味でハロウィンかぼちゃやったり、お酒、お菓子とかもやりつつ。ハロウィンかぼちゃは、達成感が半端なかったですね。恵庭にこれまでにないくらい人が来て。ハロウィンかぼちゃってきまぐれだし、ちょっとしか採れなかったり、2万個とか大量にできすぎちゃったりで、採算あわないんですけど。
マイナスじゃダメだっていう人もいるけど、他に誰もつくる人がいないし。恵庭がもりあがるんだからいいんじゃないかと思って続けてますね。

ーーいろいろなことにチャレンジする中で、失敗したり、落ち込んだりってないんでしょうか?

島田
:ありますあります。ほとんどが、うまくいかないって思った方がいいですね。9割失敗して1割が成功。その1割の成功をもとめて、必死にやって、その先に大きな達成感がある。必死にやってた時間が学びとなって、のちのちそれが自分の中の知識や経験となって、今につながってるんですよね。

何がどうつながるかって、その時はわからないこともたくさんあるじゃないですか。
例えば、保育園を経営してる知人から「無洗米を保育園にいれたいから、精米機いれてほしい」って言われたことがあって。結構な金額のものを導入してくれと、軽々と。笑
「まぁ、やるかぁ〜」と入れて使っていたら、北海道胆振東部地震の時にこれが活躍して。うちには米と水がある、だから、精米した無洗米と水を車につんで被災地に駆けつけました。炊き立てのお米が食べられるとよろこばれましたね。

100年を次の世代へつなぐ

辛かった経験も今となっては学び。成功のかけらをもとめて必死にもがいた先に、大きなよろこびと達成感がある。笑いながら話す島田さんの姿に、なんだかこちらが元気付けられてしまいます。生まれ育った恵庭が大好きだという島田さんの、これからについてうかがいました。

ーー今後の夢とか展望はありますか?

島田
:2020年でちょうど島田農園が100年だったんです。富山県から入植して、農業をつづけながら100年。こんなに長く続くってなかなかないこと。だから、この先の後継者のことも考えて法人化して、経営や米づくりも見直してます。これからも、街づくりのためにもっともっと米やお酒を発信して、恵庭市が元気になるような「まちづくりのためのものづくり」をしていきたいですね。

そして、地域の子育て世代の雇用を生むこと。この林田地区から、恵庭の街中にむけて発信していくこと。林田にはいま子ども達がいないんですよね。昔は、夏といえば、お祭りに盆踊り、お泊まり会もあったんですけどね。なくなっちゃった。

ないなら、今後自分たちでまたやろうかって話があって。
将来的には、うちの前で盆踊りとかちっちゃなお祭りをして、最後にどかんと大きな花火をあげてやろうって。やっぱりなんかやらないと面白くないんで。びっくりするようなワクワクするようなことをやっていきたいですね。

がんばったから感動する。感動したからまたやりたくなる。その繰り返しです。

「骨惜しみしないということは、人がよく生きていくための、すばらしい資質になる」
取材の直後、ふと目にしたこの言葉。なんて島田さんにぴったりな言葉なのだろうと感じました。島田さんの「骨惜しみしない」姿勢は、多くの人の信頼をよび、まわりの人にワクワクの波紋を広げています。「恵庭を代表するようなお米にしていきたいと思っているので、味には自信があります」という島田さんのお米を、ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。

会社情報

【(株)島田農園】
〒061-1366
北海道恵庭市林田2
電話 0123-36-6333
受付時間 9:00-18:00 (土・日・祝日除く)
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