コミュニケーションを育むのは1冊の本から 家族をつなぐブックスタート
恵庭市プロジェクト
文:高橋さやか 写真:斉藤玲子
読書離れが叫ばれて久しい中、「読書のまち」としての取組みを20年以上つづけてきた恵庭市。全国にさきがけて導入したブックスタートをはじめ、小中学校への図書館司書配置、まちじゅう図書館など、独自の施策をうちだしてきました。
お話をうかがったのは、ご自身のお子さんがブックスタートの一期生という、恵庭市教育委員会教育部読書推進課課長の黒氏優子さんです。
市民待望の図書館オープンから10年後。はなれていった子どもたち
「私は準備も何もお手伝いできず産休に入ったので、ちゃんとお話しできるような立場ではないんです」と遠慮がちな黒氏さん。
ーーブックスタート導入には、どんな背景があったのでしょうか?
黒氏:1992年に、この恵庭市立図書館がオープンしました。当時、北海道の市立図書館としては一番最後にできたので、市民にとっても待望の開館でした。
当初は、子ども達が毎日来てくれて、職員たちもふれあいを楽しみにしていました。
ところが開館から5、6年ほど経った頃から、だんだん子ども達が来なくなってしまったんです。
ちょうど、世界中で子どもの読書ばなれが叫ばれ始めた頃でした。アニメやゲームなどの普及で本を読まなくなり、子ども同士で図書館に遊びにきてくれることがなくなってきたんです。
その状況に職員たちも頭を悩ませて・・。本の好き嫌いに関わらず子どもたちを集めてフォーラムを開催したんです。
そこで気づいたのが、本好きの子の周りには、必ず本好きの人がいて、読み聞かせをしている人がいたということ。子どもは放っておいたら、もっと簡単に楽しめるものに時間を奪われてしまって、本好きにはならない。でも、本には本の良さがあるんですよね。読んでくれる人がいれば、子どもは本を好きになるのです。
前例のない「ブックスタート」への道のり
読み聞かせボランティアとのイベントをはじめ、1998年からは保健センターと連携し、育児教室で読み聞かせのアドバイスをするプログラムを開始するなど、図書館員たちは模索をつづけていきます。そんな中、出会ったのがイギリスを発祥とする「ブックスタート」でした。
黒氏:2000年の子ども読書年に、子ども読書年推進会議という民間の組織が、ブックスタートを日本に紹介していました。当時の図書館長がこれに着目して「導入してみないか」と職員になげかけてきたんです。
ーー前例のない取り組みに反発などはなかったのでしょうか?
黒氏:実は、わたしは最初、反対派だったんです。
当時、恵庭市の年間出生数は、600人以上。その子たちに2冊の本を配るための予算の確保は?同じ予算で図書館の本を充実させた方が良いのでは?と。
20年前の図書館の常識としては考えられないことだったので、本当に効果があるのだろうか。テレビやゲームなど、他の楽しいものに本は勝てるのだろうか。子育てで忙しい中、本当にお母さんたちに読み聞かせをしてもらえるのか、という疑問や不安がありました。
黒氏:さまざまな葛藤がありましたが、ブックスタートに効果があるかは、実際にお母さんたちに配ってみないとわからない。それならチャレンジしてみようと、「みんなで全ての家庭に絵本を届ける」という夢に向かって、読み聞かせボランティア、保健センター、図書館の3者が連携し、ブックスタートの導入を進めていったんです。
まずは、全ての子どもに分け隔てなく、絵本を渡せる場所はどこだろうと、保健師さんやボランティアのみなさんからも様々なアドバイスをいただきながら、協議していきました。
そこで、9〜10ヶ月健診の会場なら全員が集まるだろうということになり。2000年の12月に試行し、2001年から恵庭市のブックスタート事業が本格的にスタートしました。
三位一体となっての取り組み
行政だけが関わるのではなく、読み聞かせボランティア、保健センター、図書館という3者の横のつながりがあってこそ実現したブックスタート。
縦割り行政が中心の時代、画期的だったこの取り組みの中心にいた、元恵庭市立図書館職員で現在えにわゆりかご会事務局長の内藤和代さんにも、当時の様子をうかがいました。
内藤:ブックスタートは、図書館が本を通した育児支援にのりだした画期的な取り組みでした。導入にあたって参加した、ブックスタート国際シンポジウムで、イギリスのワルセール図書館の司書が「ブックスタートは保健局と一体となって行っており、行政の横の連携が不可欠である。図書館では乳児の遊びワークショップを実践している」と語っていたことが、進むべき方向の指針となったんです。
ブックスタートの運営を支えたのが、市民によるボランティア団体「えにわゆりかご会」です。内藤さんは、図書館員としてゆりかご会の方たちとともに、事業の運営をすすめ、現在は事務局長として活動しています。
ーーボランティアのみなさんをとりまとめるのは大変だったのでは?
内藤:ゆりかご会のみなさんが健診会場で、赤ちゃんに語りかけ、読み聞かせをしてくれることで、それまで緊張しがちな空間が、すごくなごやかな雰囲気になったんです。
ブックスタート以前は、ボランティアさんにもさまざまな考えがあり、意思統一に時間がかかりました。けれど、みなさんに共通した願いは「子どもと本を結ぶこと、絵本を介して親子のコミュニケーションを育むこと。」
ブックスタートは、その願いを形にした事業だったんです。図書館員として、ゆりかご会のみなさんに支えられたこともあり、今は恩返しのつもりで活動しています。
家族の生きやすさ、生活しやすさにつながったブックスタート
導入に際し、図書館員同士でも葛藤があったブックスタートでしたが、スタートすると市民から、予想以上の反応があったと言います。黒氏さんにくわえ、保健師の庄司さんにも当時のお話をうかがいました。
ーー市民のみなさんからはどんな反応があったのでしょう?
黒氏:実際にブックスタートがはじまると、「読み聞かせするようになった」「図書館に行くようになった」という親子がすごく多かったんです。
アンケートを実施したところ、「今まで読み聞かせをしたことがなかったが、これをきっかけにしてみた」という方が60%から、85%に増えました。
今まで子どもにどうやって接したらいいかわかならかったというお父さんが、「本の読み聞かせだけは自分でもやってみて本当によかった」という声も寄せられていました。
ーー保健師さんの立場からみたブックスタートはどのような印象ですか?
庄司:当時は、他部署とコラボすることが初めてのことだったんです。ブックスタートをはじめたことで、健診の待ち時間を楽しんでもらえるようになったり、絵本があることで雰囲気もよくなり、相乗効果になっています。
お母さんたちも喜んでいますし、健診の受診率も5%アップしました。
黒氏:アンケートからは、「お父さんが育児に参加してくれると、育児が楽しいと答えるお母さんが多い」という結果も。ブックスタートを通じて、育児が楽しいと感じるお母さんが増えたことが見えてきました。
家族の生きやすさ、生活しやすさに、ブックスタートがつながっているのかなと。
後追い調査を実施したところ、「幼稚園の先生や小学校の先生が読み聞かせしてくれて、すごく本好きになった」「感受性が豊かな子に育った」というアンケート結果がありました。
ブックスタートでタネをまいたあと、幼稚園や小学校でも読み聞かせをしてくださる方がいたり、さまざまな人の関わりによってその芽を潰さずに育てることができたんです。
わたしの興味という部分もある質問なんですが・・
ーーブックスタート一期生だった黒氏さんのお子さんはどんな風に育ったのでしょう?
黒氏:わたし、子どもが3人いて。どの子にも、同じだけ読み聞かせしたんですが、本好きの子と全然読みたくないっていう子と、一期生の子はまあ読む、という三者三様で。(笑)
仕事柄もあるのに、うちの子全然本を読まなくて・・と思っていたんですけど。
小学校低学年の頃、読み聞かせに連れて行った時に、ちょっと難しめの長い本だったことがあったんです。途中で飽きてしまう子もいる中で、終わってから「どうだった?」と聞いたら、「勇気」という絵本のテーマをちゃんと押さえた感想をはなしてくれて。ちゃんと人の話が聞ける子に育ったんだ。そのことだけでも効果があったんだって思いました。
だから、「一生懸命がんばって読み聞かせしたのに、聞いてくれない・・」というお母さんがいても「落ち込まないで。お子さんはちゃんと聞いてますよ」と言いたいですね。
ブックスタートからひろがる読書のウェーブ
ブックスタートと時期を同じくして、恵庭市では、小中学校に学校司書を配置する運動がはじまり読書環境が整備されていきました。さらに、市民を中心とした読書のウェーブが広がっていきます。
黒氏:2013年には、「恵庭市人とまちを育む読書条例」の施行につながっていきます。条例をつくるにあたって、市民参加のワークショップを行う中で、喫茶店を経営している方から、「お店をやりながら自分が参加できるような事業はないのだろうか」という声がありました。
企画を模索する中で出会ったのが、長野県小布施町の「おぶせまちじゅう図書館」。見つけてくれたのは、当時課長だった内藤和代さんです。これを参考に、恵庭まちじゅう図書館がスタートしました。
黒氏:カフェからIT企業まで、さまざまなところが参加してくれています。
まちじゅう図書館は、店長さんがお気に入りの本を置き、会話を楽しみ、人と人とのふれあいを大事にするのがのがルール。「本がコミュニケーションツールになっている」というのが、まちじゅう図書館にもブックスタートにも共通するところですね。
めまぐるしい時代の変化の中を生き抜いていく中で、支えとなるのは人同士のつながりです。単に知識や教養を得るためだけでなく、世代を超えたコミュニケーションを育む一冊の本。黒氏さんは最後に、「恵庭市のブックスタートで育った子どもたちの中から、作家さんになってくれたら」という夢を語ってくれました。
読書のまち恵庭の取り組みが、これからどんな形で人と人とをつなぎ、広がっていくのか楽しみです。