伝統の白石温麺に驚きと楽しさを。老舗企業が拡げるソウルフードの可能性|きちみ製麺
白石市事業者の想い
文:高木真矢子 写真:平塚実里
「白石温麺(うーめん)」
その名を聞いて懐かしく思い出す方もいれば、はじめて耳にする方もいるかもしれません。
白石温麺は素麺の一種で、蔵王連峰のふもとにある宮城県白石市で生産される特産品です。
明治時代から、白石の地で温麺の歴史と伝統を支えてきたのが「きちみ製麺」です。SNSを駆使し、温麺のファンづくりやコラボ企画などに挑み続ける、株式会社きちみ製麺・営業部長の木村敦さんに話をうかがいました。
やさしさが詰まった白石の「温麺(うーめん)」
白石温麺の由来は今から400年ほど昔に遡ります。
白石温麺の物語
その昔、この地に暮らしていた味右衛門という若者が、胃病を患う父のために、旅の僧に油を使わずに短くした麺を教わり、食べさせたところ、父親の体調は回復。
この親孝行話が時のお殿様である片倉小十郎公に伝わったことから、息子の温かな心を讃え「温麺(うーめん)」と名付けられたーー。
片倉小十郎の家臣として長い間仕えた吉見家。片倉家の旗印である「つりがね」を商標として掲げることを許され、1897年に「きちみ製麺」を創業しました。以来、温麺を専門に製造販売しています。
ーーまずは、温麺の特徴ときちみ製麺さんのこだわりを教えてください。
木村:温麺は、麺の分類上は「そうめん」類になります。9cmという短さが、他のそうめんには無い特徴で、茹でやすく食べやすいと好評です。
また、麺は太さによって、そうめん、ひやむぎ、うどんに大別され、製法によって、手延べそうめん、手延べうどんなどに分けられます。関西発祥のそうめんが食用油を使って生地を伸ばすのに対して、温麺は油を使わずに作られるのも特徴です。
きちみ製麺では、妥協しない原料選びにこだわっています。
戦後、安い小麦粉が流行した際にも、「本当においしいものを届けたい」と、原料選定をしっかりと行ってきました。その厳選された小麦粉と蔵王麓の清らかな水を使い、麺そのものの味を最大限に引き出すべく、製造してきました。
それが「釣り鐘印の白石温麺はおいしい」という評価につながって今に至っています。おかげさまで、うちは売り上げの9割が温麺です。
ーー温麺は、白石のみなさんにとってどんな存在なのでしょうか。
木村:ザ・ソウルフードですね。
ーー確かに、今日昼食を食べた白石城のフードコートでも、温麺のメニューが豊富なのに、ラーメンやうどん、そばの種類が少なくて驚きました。それだけ当たり前のものなんだな、と納得です。
木村:そうでしたか。当社で運営するお食事処「光庵」は、温麺専門店というのもありますが、ほかのメニューを置こうというような意識はあまりないですね。
各家庭で温麺を送り合う習慣もあります。常に家にある存在ですし、給食でも麺といえば温麺。子どもの頃から常に身近にあるものですね。
「家庭に当たり前にあるのが温麺」という木村さん。
「そうめん」=「温麺」という認識で育ち、大学時代に初めて細長い「そうめん」を知ったと言います。
木村:友達とそうめんの話をしていて、「どうにも話が噛み合わないな・・」と思っていたら、こちらがイメージしているのは短くて油を使わない温麺。
相手が指す「そうめん」と私の「そうめん=温麺」では、食べ方やシーンに違いがあり、確かに伝わらない訳です。
ーー白石では、どんな食べ方をされるんでしょうか?
木村:夏の暑い夜の晩御飯や味噌汁の具、サラダにすることもあります。
暑い夏の定番でありつつ、冬の時期には温かい汁物で・・と、年間通して食べるものですね。
今は時代の変化で、家族の人数も少なく親族が集まる機会も減っているかもしれません。
私が子どもの頃には、どこの家庭も家族が多く、親族が集まった時には、「食卓にドーン」と置いてみんなで食べる。そんな風に、思い出のシーンに必ずあるのが温麺でした。
思い出のシーンにある白石温麺を高級路線に
木村さんにとっても昔から身近な存在だった白石温麺。白石の食卓には欠かせない存在ですが、これまでに幾度となく存続の危機がありました。現会長の吉見光宣さんが四代目社長に就任した1994年は、バブル経済が崩壊した年。売り上げは、3億円弱から2億4000万円まで落ち込んだといいます。
木村:きちみ製麺も生き残りをかけ、それまで展開していた乾麺の種類をしぼり、「温麺特化」に踏み切りました。
同時に、価格競争の影響を受けにくくするため、安価な温麺の「高級化」を進めたのです。
最初に考えたのが「手延べ温麺」の復活でした。会社には資料が残っていなかったため、職人を育成しながら、昔ながらの手延べ製法確立への試行錯誤が続きました。
2005年、ついに手延べ温麺が完成。
使用する小麦の配合などを変え、「手延べ」、「つりがね印」、「金印」の3種類の高級温麺の販売を始めました。加えて、スーパーや小売店などで購入する顧客層への「お買い得商品」となる三束入りの普及版も販売。
消費者の乾麺離れなど、白石温麺をめぐる状況が厳しくなる中でも、きちみ製麺は経営を安定させていきました。その矢先に起こったのが、2011年の東日本大震災でした。
木村:東日本大震災では、きちみ製麺も水道が出なくなるなどの被害を受けました。
私の自宅も家具が倒れて食器が割れたり、9日間入浴ができなかったり、震災後の大きな不便を経験しました。従業員に怪我などがなかったのは、幸いでした。
その一方で、私の知っている業者さんやその従業員、取引先の企業など、先が見えないほどの甚大な被害を受けたところも数多くありました。
きちみ製麺では、3月28日に工場を再稼動させ、一歩ずつ宮城・東北の復興のためにできることをしていこうと再び前を向くことにしました。
震災後は、東北を応援しようという国内外からの動きもあり、2012年には売り上げは再び約3億1000万円を上回りましたが、その後は反動で減少傾向になりました。
広告費や研究開発費を削り、乗り越えました。お客様は、「自分用は三束入り普及品、贈り物は高級品の金印」と使い分けて買ってくださるんです。前社長・光宣さんの戦略が世の中に浸透した結果、厳しい状況でも生き残っていくことができています。
2022年に再び起こった福島県沖地震。東北地方は大きな被害に見舞われました。
きちみ製麺でも壁にひびが入るなどの被害はありましたが、すぐに営業を再開。この夏の売り上げの1%を白石市の支援金として寄付するなど、地域の復旧復興にも力を注いでいます。
コラボをきっかけに広がる白石温麺
厳しい状況にあっても、独自のアイディアで乗り越えてきた、きちみ製麺。アニメやキャラクターとのコラボもそのひとつです。
きっかけは、2009年に製麺組合で作った 「戦国 BASARA」白石温麺でした。
木村:「戦国BASARA」をきっかけにパッケージを変えてみたところ、反応が良く「これは白石温麺の宣伝商品になる」と確信しました。
白石では当たり前の存在である白石温麺も、広義で考えれば、まだまだ知らない人は多い。
「リラックマ」や「ジョジョの奇妙な冒険」など、一定のファンがいるキャラクターやアニメと組むことで、白石温麺を広く認識してもらうきっかけを作れます。限定商品にすることで、会社のリスクも抑えつつ、楽しみや驚きを提供できます。
地元の高校生から「自分たちのデザインした巻き紙を使って商品にしてほしい」と、依頼を受けることもありました。過去のイベントでは、「オリジナル巻き紙つくり」など、小さいお子さんへの体験も実施しています。
ーーコラボ温麺を通じたエピソードや反響などはありますか?
木村:私は発信の一環として、会社公認の個人アカウントで、ツイッターをやっています。新商品発売のリリースをはじめ、毎日「白石温麺」で検索して、温麺を食べてくれた人にお礼をしたり。お客様とのコミュニケーションを大切にしています。
私が発信したコラボ温麺の投稿をお客様が拡散してくださったことも。「誰かが白石温麺を知るきっかけになり、さらに広がっていく」ということもあります。
コラボアイデアは、100個浮んだうち、採用となるのは20〜30個。
山田乳業の牛乳パッケージのコラボ温麺や、酒粕を入れて作った大吟醸温麺、震災後に沿岸地域の水産会社とコラボした温麺なども取り組みました。
最近では「仙台弁こけし」という、宮城県のローカルキャラクターとコラボしました。
仙台弁こけしのYouTubeチャンネルに私も出演し、まちで「きちみ製麺の木村さんでしょ」と声をかけられるなど、思わぬ交流も生まれています。
「仙台弁こけし」というキャラクター自体が、宮城県外にファンが多いんです。SNS上でファンの方とつながると、私が「今年のイベントやります」「こんな展示会やります」と発信した際に、わざわざ県外からも足を運んでくれる方もいらっしゃるんですよ。
ーー本当にSNSも上手く活用されていらっしゃるんですね。
木村:SNSもずっと会社の紹介だけでは、行き詰まってしまいます。
自分の好きなことを発信していたら、いつの間にか白石温麺の認知も広がって、ファンが増えていました。さまざまな人が見るので、「変な投稿をしないようにしよう」と、自分への戒めにもなっています。
ーー新しいことを始めるにあたり、苦労もあったのではないでしょうか。
木村:ありがたいことに、大きな反対や反発のようなものはありません。基本的にまるごと任せてもらっています。とはいえ、「結果を残せるのか」というプレッシャーはありますね。
「納得させられたら企画は全てOK」というきちみ製麺。
説得力のある企画作りの背景には、SNSを通じた地道なコミニュケーションや情報収集がありました。
白石温麺は「文化」
きちみ製麺でさまざまな企画を打ち出す木村さん。実は、弥治郎こけしの職人でもあります。温麺とこけしに共通する木村さんの思いとは。
木村:温麺もこけしも、共通するのは宮城県や白石市の特産品であり、昔から続く伝統産業であるということ。こけし職人でもあるからこそのつながりも生かした、「弥治郎こけし×白石温麺」のコラボ企画も行いました。
木村:こけしもそうですが、温麺も宮城の伝統でありながら、まだまだ知らない人もいて、「メジャー」とは言えません。
白石温麺がマニアックだからこそ、小回りのきくスピード感や動きで、「また出た」と驚きを提供していきたいですね。いつか、お酒を飲んだ時や外食のシメがラーメンではなく「温麺」になったらうれしいです。
きちみ製麺は、苦しい時期にも原料選定を譲らなかったという歴史があるので、今後も守り、受け継いでいきたいですね。
白石温麺はひとつの文化。
味を落とさずにおいしいものをつくっていけば、支持され、やがて伝統になる、そう思っています。
営業部長とこけし職人の二つの伝統産業に携わり、発信を続ける木村さん。つりがね印に込められた「天下に鳴り響くように」との願いとともに、これからも輪が広がり続けていきます。
会社情報
株式会社きちみ製麺
〒989-0275 宮城県白石市本町46
電話 0224-26-2484/FAX 0224-26-2493