親子二代で“真面目に一生懸命に”。日下食品が守り継ぐ味と想い
白石市事業者の想い
文:高田江美子 写真:鈴木宇宙
江戸時代に、伊達政宗の家臣・片倉小十郎景綱公の居城である、白石城の城下町として栄えた宮城県白石市。蔵王連峰のふもとに位置するこのまちは、堀割や水路、商家の蔵が点在し、城下町の趣を今に残しています。
白石市で戦後間もない時代に「日下屋」として創業し、現在は「町のおもち屋さん」として地元の人たちに愛されている有限会社日下食品。二代目としてさまざまな挑戦を続ける、日下清さんにお話をうかがいました。
一般家庭に冷蔵庫がなかった時代。 チリーンチリーンのアイスキャンデー
「甘味堂くさかもちや」で温かく迎えてくださった、日下さん。現在は餅菓子製造・卸業を営む日下食品ですが、スタートはアイスキャンデーだったそう。まずはこれまでの歩みについて尋ねます。
ーー創業からこれまで、どのように歩んできたのでしょうか?
日下:日下食品は、私の父である先代が昭和25年に「日下屋」として開業し、アイスキャンデーの製造と販売からはじまりました。当時はまだ一般家庭に冷凍庫がない時代。魔法瓶でできたケースや、木の箱に入れて自転車の荷台に積み、1本5円ぐらいで売っていました。売り子さんが「チリーンチリーン」とすずを鳴らしながら、自転車で地域をまわって。片道数時間かけて、時には山を越え砂利道を走って販売してくれていました。
気温が下がる秋頃からはアイスキャンデーの売れ行きが落ちるので、冬は餅や大福の製造販売を手がけるようになりました。毎日杵で餅をついて、あんこも小豆から煮て。徐々に夏はアイスキャンディー、冬は餅や大福という体制になりました。
餅や大福は、背負子(しょいこ)さんといわれる、大きな風呂敷に商品を背負って、各地へ販売する人たちにお願いしていました。受け渡しは汽車の窓。早朝の白石駅で、数分の待ち時間に窓から箱ごと商品を渡して、夕方の汽車で空になった箱を回収して。背負子さんが福島県の飯坂や保原など、遠い各地に販売してくれました。当時の白石駅職員の方たちにも、本当に良くしてもらって。まだ今のように流通が発達していなかった時代に、さまざまな人のおかげで商品販売ができたことは、感謝しなくてはいけないと思います。
ーー時代の変化によって、商品の製造や販売も変わっていったのでしょうか。
日下:そうですね。昭和46年にはアイスキャンデーの製造をスパッとやめました。昭和45年の頃から、大手メーカーがアイス製造に進出し、地方の小売店にショーケースごと設置して販売する手法が広がったんです。
メーカーの下請けとしてのアイス製造にも取り組みましたが、利益幅や雇用面での苦労などが重なり、アイス製造の廃業を決めました。和菓子を中心に据え、機械の導入や商品の幅を広げる方向に舵を切ったのです。
和菓子屋への転換。機械化と販路拡大に挑む
アイスキャンデーから、和菓子中心への方向転換という大きな決断をした日下食品。機械の導入や販路拡大の中での苦労もあったと日下さんは語ります。
ーー和菓子に路線を変えたことで、製造の仕方など変化もあったのでしょうか。
日下:大福は一つ一つ同じ大きさに餅を切って、あんこを詰めて、粉を付けて・・という流れで製造します。中でも「切る」作業がとても大変で。腱鞘炎になるほど。
機械の導入を検討し、大手の食品機械メーカーに相談しましたが、「餅を切る工程は難しい」と、断られてしまったんです。
でも餅を切る手は限界にきていたので、機械を自ら購入して製造を試みました。最初は、10個のうち1個ぐらいの成功率。あきらめずに研究を重ねるうちに、使いこなせるようになったんです。半年後、二号機の購入に踏み切った時には、最初に断られたメーカー側が驚いて。二号機は、私たちの意見を取り入れて改造したものを納めてもらえる結果になりました。
労力と経費はかなりかかりましたが、先行投資して良かった。当時は頑張っても、1日200~300個しか餅が作れなかったんですが、最大5万個も製造出来るようになったんです。
大量生産が可能になり、販路も広げられました。
ーー機械化が進んで販路も広がったのですね。
日下:近くの農家さんが、おやつ用に大福を買ってくれて「腹持ちが良くておいしい」と、飛ぶように売れていったんです。
大量生産が可能になったので、福島県の大手パン製造会社に卸し、自社のパンと合わせて販売してもらうなど、販路拡大していきました。それでも弱いということで、スーパー関係にも販路を広げました。
ーー販路が広がったことで、何か変化はありましたか。
日下:衛生管理ですね。大手スーパーへ商品を卸す場合、商品もそうですが製造工程や従業員の衛生面のチェックが徹底されています。
今では当たり前のことですが、当時は従業員に雑菌の数値等の話をしても理解が難しかったんです。実際に菌の増殖実験などを通して、各自の目で確認してもらい、全員に衛生管理の重要性を丁寧に説明しました。しっかりと理解してもらった上で、衛生管理を徹底していくのには苦労しましたね。
衛生管理の徹底や品質の保持は、信用に繋がります。うちみたいな小さな会社が、大手スーパーに取り扱ってもらえることは、ありがたいことで感謝していますよ。
ーー販路を広げつつ、地元の方々からも愛されている製品へのこだわりはどんなところにありますか。
日下:昔から、出来立てへのこだわりはありますね。私の父は真面目さだけで売ってきたみたいなところもあって、製品のこだわりはその真面目さと比例しているんですね。
団子や餅などは、粉によっても気候によっても仕上がりが変わります。素材にもこだわっていて、宮城県産の餅米「みやこがね」を自家製米して使用しているので、見た目の白さや味の濃さ、弾力も一味違います。
味へのこだわりを守り、妥協せず納得のいく商品作りを続けています。「失敗したら全部処分する」気概で今までやってきていますね。
突然の二代目就任。 時を経てアイスキャンデーの復活へ
時代の変化とともに商品や販路を変え、実直に歩んできた日下食品。日下さんが二代目を継ぐことになったのは、ある日突然の出来事だったそうです。そこから始まった日下さんの挑戦の日々についてうかがいました。
ーーもともと家業を継ごうと考えていたのですか?
日下:そうですね。「長男だから後を継ぐ」というのが、当時は一般的なことでした。子どもの頃から、自分の中にも「いつか継ぐんだろうな」という意識がありましたね。やりたいこと、好きなこともそれなりにあったんですけど。
今考えると、置かれた環境から飛び出す選択肢もあったのかもしれないけど、親の仕事を引き継ぎました。
ーーいつ頃引き継がれたのでしょう。
日下:私が33歳の時でした。突然「明日から好きにやっていいから」と通帳と印鑑をぽんと渡されて。そんな話をされても、何を言っているんだろうとなりますよね(笑)。
当時、父は60代前半。元気な人は70、80歳くらいまで働く人もいる中、父は一線から退いて、忙しい時に手伝う程度になりました。
ーー突然、後を継ぐことになって不安などはなかったのでしょうか。
日下:「何年後にはすべて任せるから、そのつもりで心がまえしておけ」という話ならわかるんだけど、あまりにも突然だったので、戸惑いはありましたよね。自分でやっていくのであれば、自分のスタイルでやっていかなくてはならないし。
父の代は個人経営の販売先が多かったので、同じスタイルで長く続けていくのは、正式に後を継ぐ前から難しいだろうと感じていました。引き継ぐ前から私も経営に関わり、製造卸売業や販路拡大を進めました。
父はきっと、時代の変化に合わせて事業に関わる私の姿勢を見て、「任せても大丈夫だろう」と認めてくれたんでしょうね。まだまだ越せないところもありますが。
日下:試行錯誤を重ねていた中で、白石の青年会議所に入ったんです。そこで、多くの素晴らしい先輩方や仲間に出会えた。特に私が入った年は、宮城県内の有名企業や老舗企業の経営者の方々など錚々たる顔ぶれ。普段会えないような人たちと、一緒に肩を並べて活動することで、ものすごくいい刺激を受けました。
「自分も何か新しいことをしたいな」と、餅米を活用したおこわを新たに製造し、お弁当として仕出しする事業を始めました。一歩踏み出してみると、今度は「食堂の経営もしてみたいな」「入浴施設もひとつかな」と次々に構想が湧いてきて。
平成13年にはスーパー銭湯「やすらぎの湯 ゆっぽ」と、施設内の食堂「ゆっぽ亭」を白石市にオープン。平成17年に宮城県北部の富谷町(現富谷市)に、2店舗目となる「ゆっぽとみや大清水」をオープンしました。
ーー今までのとは全く異なる事業に取り組むのは、素晴らしい行動力ですね。
日下:青年会議所の中で、たくさんの異業種の人たちと交流することで、自分自身が成長できたのだと思います。そこで得た刺激や学びが、新たな事業に乗り出す気持ちに繋がった。
そして、ゆっぽができたことで、アイスキャンデーが復活したんです。
せっかくだから、当時のアイスキャンデーを復刻して販売しようと、製法も形も当時のまま。それが、今の時代にはかえって新鮮に見えて好評をいただいています。ご縁があって、映画の中で使用されたり、有名アーティストのコンサート会場で販売されたり。恵まれているなぁと感じます。
真心と一生懸命さを込めた商品を
ーーさまざまな展開をされてきた日下さんですが、今後の展望はありますか?
日下:基本的には「とにかく真面目に、出来ることを一生懸命やる」。これまでも、これからも。「気持ち」を込めることって、大切だと思うんですよね。
マニュアル通りの製品ではなく、製品に「気持ち」がこもることで、お客さまにも想いが見えるし、届く。安心・安全にも繋がる。一生懸命さが感じられるお店でいたいですね。
どの企業も製品へのこだわりを持っているからこそ、そこにプラスして、一生懸命さや真心を込めていく。そうすることで、初めて「本当の意味でお客様に届く」のだと思います。
常に真面目に、一生懸命に、製品に真摯に向き合う姿勢を大切に。従業員みんながそうあり続けることが、私の一番の想いであり、夢ですね。
「真面目に、出来ることを一生懸命やること。」
おだやかに、物腰やわらかくお話してくださった日下さん。二代目としての製品への強い想い、挑戦者として視野を広く持ちチャレンジし続ける行動力、どちらの面もあるからこそ、今の日下食品があるのだと感じました。
地域を愛し地域に愛される存在として、これからも成長をし続ける日下食品。そのこだわりの製品を、ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。
会社情報
有限会社日下食品
〒989-0272
宮城県白石市清水小路48-4
TEL:0224-26-2508
FAX:0224-25-5150
営業時間:9:00~18:00