豊かな蔵王の恵みを生かし、紡いできた山田乳業の歴史と情熱
白石市事業者の想い
文:高田江美子 写真:鈴木宇宙
「フロム蔵王」のブランド名で全国に乳製品を届ける山田乳業株式会社。明治17年に前身となる山田養生舎を創業、移転や合資会社を経て昭和38年に山田乳業株式会社となりました。135年以上に渡って白石市に根ざし、地域とともに歩み続けてきた山田乳業株式会社の常務取締役の山田光彦さんに、お話をうかがいました。
歴史ある家業への想い
雄大な蔵王連峰を臨む白石市のまちに溶け込むように佇む、山田乳業株式会社の工場。製造にあたる従業員さんや製品を運搬するトラックが行き交う、活気ある現場を横切って事務所にお邪魔すると、山田さんが穏やかな雰囲気で迎えてくれました。まずはこれまでの歩みについてうかがいました。
ーー山田乳業株式会社は、明治の創業から現在までどのように歩んできたのでしょうか?
山田:先祖代々、山田家で経営を受け継いでいます。創業当時の明治初期から平成初期にかけて、酪農を営んでいました。しかし、時代の変化とともに酪農の合理化が進み、酪農家は集約され、酪農組合が形成されました。山田乳業も当初は酪農組合を運営していましたが、乳製品の製造へとシフトし、昭和37年に山田乳業株式会社を設立しました。現在は私の兄が社長で三代目となります。
社長は経営全般と営業を、私は常務として工場と事務所を担当し、役割分担しています。
ーー現在はお兄さんが社長とのことですが、山田さんご自身は子どもの頃から家業に対する想いがあったのでしょうか?
山田:兄がいたので、私はどちらかというと気楽な立場。家業に対する想いはありましたが、「継がなきゃ」というところまではなかったですね。私は大学を卒業してすぐ、大手パンメーカーに就職して、千葉県のパン工場で製造業務に携わっていました。家業に戻ってきたのは27歳の頃だったと思います。
千葉県に行った当初は実家に戻ることも決めていませんでした。実際、パンの製造に携わると仕事が面白くなって、戻ることを迷ったんです。ですが、父と兄から「帰って来い」と言われて、悩んで悩んで、最終的には帰ってきました。
小さい頃から工場の中で育って、仕事をする親父の背中を見て生きてきた。だから、会社や仕事に対する想いは、どこかでずっと持っていたんです。
攻めの姿勢で挑戦したブランド化
幼い頃から抱いてきた仕事への想いを胸に、家業に入った山田さん。一方で、時代の流れにともなって食品業界を取りまく環境は大きく変化していきます。牛乳が苦境に立たされた中、山田乳業は「フロム蔵王」というブランド立ち上げに活路を見出します。
ーー「フロム蔵王」の立ち上げには、どのような背景があったのでしょうか?
山田:フロム蔵王の立ち上げは、約30年前のこと。スーパーマーケットが台頭し、市場での安売り競争がはじまった頃です。牛乳も安売りの目玉商品になり、大量生産しても割に合わない、という状況になっていきました。「水よりも安い」なんて言われるぐらいでしたからね。時を同じくして物流も目覚ましく発達していきました。それにともなって、大手チェーンストアが地方市場にも進出。宮城県仙台の市場にも入ってくるようになりました。苦戦を強いられる中で、「逆に、外に打って出よう」と考えたことがきっかけです。
ーー価格競争や物流の発達など、時代の変化の中で「フロム蔵王」が誕生したのですね。山田乳業とは別のネーミングにしたのはなぜですか?
山田:関東圏に打って出るにあたって、「山田乳業」では認知度も低く、戦うのが厳しいと判断しました。一方で、幸いにも私たちの近くには「蔵王」という資源があります。「豊かな蔵王山麓の自然環境で育った牛の生乳を使った製品を届けていこう」という想いを込めて、社長が「フロム蔵王」と名付けました。
コンセプトは、「おいしさ自然主義」で「フレッシュ&ナチュラル」。100%蔵王産の生乳にこだわり、極力地元の新鮮な素材を使用、極力添加物を使わずに作ることを大切に、スタートしました。
商品開発は、主に山田さんが中心となり、品質管理室のスタッフ2~3名と一緒に取り組んでいるとのこと。開発には数年かかる場合もあると言います。
ーーフロム蔵王の商品開発で、苦労された点などはありますか?
山田:添加物を使わないと決めたことで、商品開発は困難を極めました。例えば、ヨーグルトのとろっとした食感を出そうとした場合、安定剤を使わず、粘性が出る乳酸菌を使用したら緩くなってしまって。「なんでこんな飲むヨーグルトみたいな物を持ってくるんだ」と、納品先からクレームになったこともありました。最初はなかなか扱ってもらえなくて。安定剤を使わないフルーツヨーグルトは、今ではもう主流になっていますが、当時はまだ珍しかったんですね。うちの製品が日本で最初か2番目ぐらい。当時市場で認められていた商品と比べると、風味的に落ちる、触感的に劣るといったことが出てきてしまってなかなか受け入れてもらえませんでしたね。
ーー世の中に認められるまで、どのような工夫をされたのですか?
山田:とにかく、添加物を使わずヨーグルトの粘性を高める研究をしました。乳酸菌の発酵の具合を見ながら、どのぐらいの分量なら良いのか、何回も何回も試作して。
売れるようになったのは、作りはじめてから2~3年後のことです。とにかく時間がかかりましたが、売れるようになってからは、大手スーパーやコンビニでも扱ってもらえるようになりました。
そこから、今ではヨーグルトのラインナップも随分増えました。中でも私のオススメは「極ヨーグルト」です。通常のヨーグルトからグレードアップした位置づけの商品で、低温・長時間発酵をすることで、風味と独特なもちもちした食感を実現させました。商品化にたどり着くまでには、100通り以上の組み合わせを試し、毎日毎日試行錯誤しながら1年がかりでしたね。
ーー試行錯誤を繰り返しながら、さまざまな商品を送り出しているのですね。アイスクリームも人気だとうかがいました。
山田:圧倒的に商品開発のアイテム数シェアは、アイスクリームですね。7割ぐらいを占めます。中でもユニークで商品としての人気もあるのが「ハイブリットマルチアイス」。これは特殊なアイスクリームで、溶けるとムースのようにして食べることが出来るので、ハイブリットとネーミングしました。「溶けないアイスは出来ないものか?」と開発した商品です。ECサイトで販売していたアイスが、夏場は配送地に届くまでに溶けてしまうというクレームがあったことから着手しました。
アイデアは社長から出ることも多いですし、私から提案することもあります。世の中的なトレンドも汲みながらですね。ハイブリットアイスもお客さまにさまざまな味を楽しんでいただけるよう、季節ごとに味を工夫しています。
突然訪れた困難。乗り越えるための新たな一手
試行錯誤を繰り返しながら商品開発を進めてきた、フロム蔵王ブランド。軌道に乗っていた頃に突如発生した東日本大震災は、山田乳業株式会社にも大きな被害をもたらしました。
ーー東日本大震災の影響は、宮城県白石市でも大きかったのですか?
山田:この地域は地盤がしっかりしているので、建物などの被害は少なかったものの、震災から2~3週間は復旧作業にかかりきりで、3週間後ぐらいからようやく復旧しました。
それよりも大きな被害を受けたのは、福島第一原発の事故でした。遠く離れた原発ですが、放射能が飛んできて蔵王連峰にぶつかり、裾野に落ちてしまう事態が起こりました。牧草がやられてしまい、それを食べた牛の生乳から放射能が検出されたんです。数値は基準値を下回っていたものの、公になると関東方面への出荷はゼロになってしまいました。首都圏のスーパーやコンビニエンスストア、生協関係もゼロになりましたね。一度棚から下ろされてしまった商品をまた並べてもらうというのは至難の業。
今年で10年が経過しましたが、今ようやく元に戻ってきた感じはあります。10年がかりの再生でした。
ーー販路が厳しくなった中で、どのような取り組みをされたのでしょうか?
山田:新たな販路開拓に乗り出すしかありませんでした。お土産市場や高速道路の売店、ホテルといった業務用利用や学校給食など、それまで我々が参入していなかった市場に挑みました。
中でも伸びたのが、宮城県を中心とした業務用の需要でした。ホテルの朝食にヨーグルトや牛乳を採用してもらえるようになり、おかげさまで販路を広げることが出来たんです。
業務用の製品はECでも販売していて、ヨーグルトやソフトクリームミックスなどが売れています。それこそ、北海道から九州まで、全国各地から注文をいただいていますね。
ーー厳しい中でも新たな販路に繋げられたのですね。
山田:沢山挑戦はしてきています。でも、そのおかげで失敗だらけなんですよ。数えきれないぐらい失敗はしているんです。笑
未来へと守り繋ぐ、地元白石の宝とブランド
「数えきれないぐらい失敗はしているんです」と、挑戦の数々について語ってくた山田さん。一世紀以上にわたり、地域に根ざしながら歩んできた山田乳業のこれからについてうかがいました。
ーー地元に根ざす企業としての想いなどはありますか?
山田:地元に活かされて仕事をやっていますから、貢献したいというのは当然ありますね。
ひとつはふるさと納税を通じて地域に還元するということ。
もうひとつは、ボランティア活動といいますかね、社長と私とで、地元の仲間と地域おこしを。白石市は、きれいな水が縦横無尽に走っています。片平観平という偉人が白石市の上流からトンネルを一代で掘り、白石市全域に水が流れるようになりました。そのおかげで今も清流が流れています。それをうまく活かしながら町おこしをしたい。
そして蔵王は、白石市の観光資源であり、きれいでおいしい水を生む場所。
うちの工場は100%井戸水なんです。蔵王からの伏流水を用いて乳製品を作っているのが、美味しさに影響していると思います。
ーーまさに地域の恵みですね。山田乳業株式会社の今後の展望について、お聞かせください。
山田:やはり、フロム蔵王ブランドのさらなる飛躍ですね。名前がようやく浸透してきた実感はあるので、この先まだまだフロム蔵王の商品を進化させて、全国に知れ渡るブランド・商品にしていきたいなと考えています。
自分のふるさとを愛し、お忙しい中でも地域のために積極的に活動をされる山田さん。地元を愛する姿勢が、山田乳業が白石に根付き歴史ある企業になれている理由の一つなのだと感じました。
進化するフロム蔵王。白石市初の全国ブランドとして、今以上に全国のお客様に愛される存在になっていくことでしょう。これからも山田乳業株式会社から生み出される商品が楽しみです。
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