猿払の看板でありたい。村で初めての農業法人「北の大地」
猿払村事業者の想い
文:立花実咲 写真:原田啓介
かつて酪農といえば、何度も大量の餌やりをしたり、朝から搾乳したりと、体力が必要で忙しい仕事というイメージが強かったように思います。
動物と向き合う仕事ですから、今でも大変な部分こそありますが、テクノロジーの力を借りて効率化が進んできました。国が後継者不足を解消するため、設備投資の補助などを積極的におこなっていることから、IoT技術を取り入れやすくなっているそう。
猿払村の中でも、酪農の先駆者の一人として村で最初に法人化し、牛乳を生産してきた「北の大地」。その軌跡と、猿払で酪農を営む想いをうかがいました。
村で初めての農業法人「北の大地」
従業員は、現在13人。代表の井上勝敏さんが、いとこと3人で2003年に会社を設立し、2005年から本格的に搾乳をスタートさせました。
ーー村で初めての農業法人として、特徴的な点はありますか?
井上:「法人化するときに、フリーストールという飼育方法を採用することにしました。よくある牛を繋いで飼育する方法は、膨大な敷地面積が必要です。採算を合わせるために、1戸あたり100頭の牛を飼う必要がありましたが、400頭を飼育するため牛をつながず、一定の範囲で自由に動き回れるフリーストール方式で飼育することにしました」
牛を繋いでおく方が、動く範囲が少ないため寿命が長くなります。とはいえ、自由に動ける方が牛にとってのストレスは抑えられます。予算と牛のことを考え、取り入れた飼育方式です。
加えて、搾乳方法にも最新技術が取り入れられています。
井上:「繋いだ牛に搾乳機を一頭ずつ取り付けるのではなく、機械の中に牛自ら入ってもらって搾乳するドイツ製のMIone(エムアイワン)を導入しました。機械には餌が自動で運ばれてくるスペースがあって、牛にそのことを覚えさせると、自分で中に入るようになるんです」
ーー牛が自ら入っていくんですね!
井上:「MIoneは、従業員の手をかけずに搾乳できる方法を考えた結果、たどり着いたもの。お腹が空いたり、お乳が張って痛くなると、機械に慣れた牛はみずから中に入り、搾乳されるという方法です」
ほかにも「北の大地」では、餌を選り好みする牛によって、散らばって残された飼料を、牛たちが届くところにかき集める、餌寄せロボット「MOOV」という機械を活用しています。
さらに、20,000リットルの牛乳を冷却・保管ができる縦型のバルクーラーを、道北で初めて導入。これらはすべて2017年度に稼働がスタートしました。
きっかけは“におい”、そして家族との時間
こうした機材の初期費用や維持費は大変なもの。安い買い物ではないですが、その決心のきっかけには、ある悩みがありました。
ーーこうした設備投資に踏み切ったのは、なぜですか?
井上:「牛たちの糞尿は牧草地に撒く肥料になります。けれど気温が高くなる日は、においがするんですね。農場が国道沿いにあるし、なんとか解決したかったんです。いろいろ試してみたんですけど、思ったほど効果がなくて。試行錯誤する中で糞尿を発酵させることでにおいをやわらげることができると知りました。発酵する際に発生するガスを燃料にするバイオガス発電で発生する電力を売電することで、経営にも大きな負担をかけず、においもさせずに、糞尿を撒くことができます。バイオガス発電は、宗谷管内で初めて導入しました」
「北の大地」では、毎日400頭ほどの牛の搾乳がおこなわれます。設備投資をしたのは、従業員の暮らしを改善したいという井上さんの思いもありました。
井上:「いろんな性格の牛がいるので、どうしても搾乳機が合わない牛もいます。搾乳機になかなか入りたがらない牛は、ミルキングパーラーで搾乳します。MIoneを導入するまでは、パーラーで400頭分のお乳を絞っていたんですが、1日の搾乳に7時間ぐらいかかったんですよ。でも今は、朝晩1時間ずつ、短縮して仕事ができるようになりました」
以前は、夜8時を過ぎても家になかなか帰れないほど作業量が多かったそう。ですが、今では従業員の多くが、家族とごはんを食べたり一緒に時間を過ごしたりできるようになりました。
会社を設立して、15年以上経ちますが「事業を進める上で行き詰まったことや、大変だったことはありますか」という問いに対して、「基本的に大きなトラブルもなくやってこれたけど」と、井上さん。ただ一つ、経営については、もともと各個人で酪農を営んでいた背景から「時間をかけて調整した」と話します。
ーー時間をかけて調整というのは?
井上:「それぞれが家の主だし、社長だし、家族が従業員という形で長年やってきた。でも会社という組織で一つになると、気持ちの切り替えっていうか。みんなの会社ではあるけど、社長一人の考えに沿って仕事をしなければならない流れもある。そういう部分では、気持ちの整理に時間がかかった部分はあるかもしれません」
親戚同士だから忖度なしでやりとりできる部分もありますが、だからこそていねいに向き合う必要もあります。
井上さんが従業員や周りの人を大切にしてきたからこそ、今でも地域の産業を支える一役を担っているのです。
地域あっての自分たちだと思っています
2003年創業の「北の大地」は、猿払村で初めての大型農業法人。法人化はもちろんIoT技術の導入など、前向きに新しいことに取り組む井上さんのお話をうかがっていると、先駆的DNAを感じさせるエピソードを教えていただきました。
井上:「うちの先祖は大正6年に、宮城県から現在地へ入植してるんですよ。当時は中頓別までしか天北線が来ていない時代で、猿払村のほとんどが戦後に入植した人たちで開拓された地域なんです。でも、井上家は、猿払に来るのが早かったんです」
その後、1965年頃に国の農業構造改善事業がスタートし、酪農業を本格的に始めたそう。井上さんも猿払村で産まれ育ち、凄まじい勢いで変わっていく村を見てきました。
井上:「当時、私が仕事を手伝い始めたときには、まだ自動車がなかったんですよ。道路も砂利道だったし。中学1年か2年の頃に、親父が50ccのバイクを買ってきて、すごく印象深かったですね
今では、砂利道を探すほうが難しいくらい舗装されています。猿払村でも酪農業を営む人たちが増え、村の基幹産業へと成長しました。
最後に、猿払村出身の井上さんに、こんな質問をなげかけました。
ーー地元・猿払で「北の大地」は今後どうありたいと考えていますか?
井上:「会社を作るときは、村で初めてだったから地域の人たちは応援してくれたけど、いろいろ迷惑をかけた部分もあると思う。だから村の看板……とまでいくか分からんけど、地域あっての自分たちだから。看板になるような会社にしたいなとは思います」
後継者となる息子さんも育ち、今では一緒に仕事をしているそう。井上さん自身は「もうすぐ引退だ」と笑いながらお話してくださいました。けれど、牛舎を案内してくださったときの後ろ姿は、まだまだ現役。新しいものに臆することなく、事業のことも一緒に働く人たちのことも考えながら、前を向いている社長の背中でした。