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猿払村

漁師を守る、新しい漁業を。猿払・鮭鱒の果てなき航海

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漁師を守る、新しい漁業を。猿払・鮭鱒の果てなき航海

猿払村事業者の想い

文:三川璃子 写真:原田啓介

北海道の秋の味覚といえば、鮭。最北の村・猿払でも、毎年たくさんの鮭が遡上します。

この地で約60年にわたって水産業を営んできた鮭鱒(けいそん)株式会社。鮭と鱒をはじめとする漁をはじめ、寒風干しや鮭とばなどの加工まで手がけています。3代目として鮭鱒を引っ張るのは、「祖父の顔を潰したくない」と先代の想いを継いだ永井英俊さんです。

漁業関係者の冬の雇用をつくるため、新しい漁業のあり方を模索しています。

荒波にもまれながら、祖父の想いを継ぐ

取材日はちょうど鮭の漁獲がピークになる秋の忙しい時期。そんな中「どうぞ入ってください」と取材陣を事務所に案内し、あたたかく迎えてくれた永井さん。鮭鱒の立ち上げから、永井さんが3代目を継ぐことになった背景をうかがいます。

ーー鮭鱒立ち上げの背景を教えてください。

永井:1963年に曽祖父が創業しました。2023年でちょうど60周年を迎えます。約60年前のことなので、創業当時のことは僕もあまりよくわからないんですが、鮭と鱒の定地網漁の漁業権の統合をきっかけに3つの漁業者が集まって、会社を設立したそうです。

ーーそうなんですね。共同だったのが理由で、誰かのお名前ではなく「鮭鱒」っていう名前なんですか?

永井:
それもありますし、鮭・鱒の漁獲がメインだったからだと思います。当時から今も変わらず、5月〜8月は鱒、9月〜11月中旬には鮭の漁をしています。

ーー永井さんはどういった経緯で3代目として引き継ぐことになったのでしょう。もともと漁業に興味があったんですか?

永井:母の実家が猿払で、「祖父の後継者がいない」という話を聞いて、継ぐことを決めました。僕は札幌出身だったので、実際に近くで祖父の仕事を見てきたわけではないですが、「毎年魚を送ってくれるおじいちゃんがいる」という認識はありました。

前職はSE(システムエンジニア)として、夜中もパソコンに向かって仕事する日が続いていました。昼夜逆転のような生活で、少し体を壊してしまったこともあり、この先を見つめ直したんですよね。そのタイミングで後継者の話を聞き、猿払に来ることを決意しました。

ーー札幌から猿払へ移住することも、畑違いの漁業に挑戦するのも、かなり勇気がいることだと思います。

永井:単純に「漁業」におもしろさを感じたんですよね。実際に、すごくやりがいを感じていますし。SE時代は、常に仕事に追われてずっと走り続ける感じだったのが、今はその日の分の魚を獲って、1日1日の区切りがある。「今日もやり切ったなぁ」って、大きな達成感があります。

もちろん、来てみてわかった大変さもありますけどね。

ーーどんなことが永井さんにとって一番大変でしたか?

永井:
札幌から猿払に来て、村の文化や人と打ち解けるまでは苦労しました。祖父が漁業組合の組合長をやっていたので、「孫が来た」という視線もプレッシャーに感じたり。船の上でも荒波、陸に上がっても荒波でしたね。

ここに来て今年で17年目ですが、10年くらいかけて少しずつ打ち解けていきました。

ーー私だったら耐えられず逃げてしまいそうですが、それでも永井さんが猿払に残ろうと思えたのはなぜですか?

永井:「祖父の顔を潰したくなかった」っていうのが一番です。

従業員と家族が全面的に味方になってくれたのも大きいですね。うちの船頭も相談にのってくれたりして、本当に感謝しています。

冬の雇用を増やすため、仲間と歩んだ商品開発への道のり

「うちは魚獲ってるだけでいいんだと、祖父によく言われていて、なんだか悔しいと思ってたんです」ーーと、現状に胡座をかかず、冬の雇用確保のために加工業に挑んだ永井さん。「寒風干し」や「鮭とば」は、今や口コミで広がり人気殺到の商品です。そんな人気商品誕生の背景には仲間との試行錯誤の日々がありました。

ーー寒風干しや鮭トバなどの加工品を、永井さんの代から始めた理由は?

永井:水産にまつわることで、冬の仕事をつくりたかったんです。
漁師ってほとんどが季節雇用。うちも4月から11月までの季節雇用で、11月にみんなを解雇するんですけど、「それって今の時代どうなんだろう?」と、疑問に思ったんですよね。

「冬の仕事をつくりましょう」と加工を手がけることにしたんです。まずは、僕と船頭と従業員一名の3人で集まって、「鮭の山漬け寒風干し」をつくってみることに。これが全くうまくいかなくて。

永井:寒風干しは、鮭を山漬けにして冬の間高台に吊るし、乾燥させたもの。昔から各家庭で少量ずつつくっていたものなので、つくり方もそれぞれだし、塩加減も自分たちの感覚。これを100本単位の量で味を安定させるとなると、本当に加減が難しい。

1年目は、しょっぱすぎて食べられない。1年目の失敗をいかして、2年目は塩抜きしてみたものの、干している間に腐ってしまいました。手間ひまかけたのに、うまくいかなかったときのショックは、かなり大きかったですね。

塩分が少なすぎると腐るし、多すぎると塩辛すぎて食べられない。絶妙なさじ加減を見つけて、商品化に辿り着くまで、4年もかかりました。

ーー4年もかかったんですね。鮭トバも人気だとうかがいましたが、こちらはどういった経緯で?

永井:鮭といえば鮭トバのイメージが強いみたいで、周りから「鮭トバはやってないの?」って言われることが多かったんです。

商品化を考えていた時、従業員の一人が「美味しい鮭とばがあって、真似てつくってみました!」と持ってきてくれたものが、すごく美味しかったんです。それでつくったのがブラックペッパー味の鮭とばです。

でもブラックペッパー味って、意外と他でもつくってたんですよね。他にないものをつくりたいと思っていたので、従業員何人かに案を募集して、20種類の試作品をつくりました。

ーー20種類も試したんですか!

永井:正直、食べれないものもたくさんありました。例えばニンニクの鮭とばは、一見相性がよさそうに見えるんですが、ニンニクが強すぎて合いませんでした。他にも柚子胡椒や特殊な醤油など、いろいろ試しましたね。

最終的に決まったのが豆板醤味。

お酒のおつまみを想定していたので、甘辛い豆板醤がピッタリでした。

「寒風干しや鮭トバは日持ちもするから、贈り物にもしやすい」と評判だそう。
「寒風干しや鮭トバは日持ちもするから、贈り物にもしやすい」と評判だそう。

ーーパッケージも素敵ですね。一見、お茶が入っているような箱にも見えます。

永井:友人のデザイナーに「何が入ってるかわからないデザインにして欲しい」とお願いして、つくってもらいました。鮭の山漬け寒風干しも、今までは発泡スチロールに入れていたんですが、渋いデザインの化粧箱に。サクラマスの寒風干しはピンクの迷彩で斬新さを出しました。

ぱっと見、水産物が入っているとは思わないじゃないですか、そういう意外性がいいんじゃないかと思って。ユニークな商品にしたい、という気持ちは常にあるかもしれません。

ーー歳月をかけて商品開発を続けられた原動力は何だったのでしょうか?

永井:
加工の目的である「冬の雇用」をどうしても成り立たせたい、と思っていたからです。どれだけ時間がかかっても。それが原動力だったと思います。

最初に食べさせてもらった寒風干しが、本当に美味しかったのもありますね。ゴールとすべき理想の味が見えていたのは大きかったです。

猿払の魚を食べる機会を増やしたい

「一次産業を生かした新たな仕事をつくりたい」という想いを抱き、永井さんは水産加工にとどまらず、新たな事業への挑戦を始めています。現在抱える課題と今後の展望をうかがいました。

ーー加工を始めたことで、冬の雇用は少しずつ増えているのでしょうか?

永井:商品化はうまくいきましたが、冬の雇用は少し苦戦している状況です。年々、鮭があがってくる時期が変わっていて、冬の加工にストックしておくべき原料が、十分に足りていないんです。

永井:鮭は9月、10月がピークで、11月はほとんど取れません。9月、10月の2ヶ月間で、いかに獲れるかが肝。

獲ったと同時に、加工用の鮭はすぐに捌いて塩漬けや山漬けにしないといけません。繁忙期にさらに労力を割かないといけないので、冬作業用のストック本数が少なくなってしまいます。加工用に400本獲ったとしても、冬1ヶ月分くらいの仕事にしかならないのが現状です。

永井:なんとか通年雇用を実現させるため、鮭の他にも持続的にできる仕事を模索しています。そこで始めたのが、北海しまえびの養殖実験です。

ーーえびの養殖実験!最近始められたんですか?

永井:ここ4年くらいですね。港の近くに小さな施設を立てて、通年雇用で2名を採用して進めています。

養殖に関する知識は全くのゼロで、まだまだ実験段階。共食いが発生してえびが全滅してしまうこともありました。大学教授だった方にアドバイスをいただいたりしながら、また試行錯誤してますよ。

ーー会社を継がれた時点で大きな挑戦で、苦しい道に入ってきて。また新たな挑戦という状況に飛び込んでいるんですね。
今後、目指したいことや取り組んでみたいことはありますか?


永井:事業の一つとして、村内で鮮魚店をやろうと思ってます。猿払村ってこんなに魚が豊富なのに、意外と地元で魚を気軽に買える専門店はないんです。最初は車の移動式販売で考えていて、地域貢献的な意味合いもあります。

永井:僕は「猿払」という地で行う、一次産業が好きなんです。生まれ育ちは札幌ですが、猿払村は小さい頃から来ていた場所。どこに行っても「帰りたい」と思えるこの場所で、この仕事を続けていきたいと思います。

猿払の魚を食べた人が「美味しい」と言ってくれることが自分にとって一番嬉しい。
「日本産の鮭ってこんなに美味しいんだよ」ってことを伝えていきたいですね。

取材の際にいただいた鮭とばは、旨味がぎゅっと詰まっていて、噛むほどに鮭の味が。アクセントになるブラックペッパーと豆板醤がクセになり、口へ運ぶ手が止まりません。

祖父の会社を継ぎ、加工を始め、養殖実験、鮮魚店の構想など、何度も荒波に立ち向かう永井さんの姿が印象的でした。
「何とかして一次産業を生かした冬の仕事をつくりたい」未来へのアツい想いをもった永井さんと鮭鱒の挑戦の歩みはこれからも続いていくでしょう。

会社情報

猿払鮭鱒株式会社
〒098-6105 北海道宗谷郡猿払村浜猿払12−2
電話: 01635-4-5007

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