最北のイチゴの産地へ。新たな産業の歴史がはじまる
猿払村プロジェクト
文:立花実咲 写真:原田啓介
日本全体の課題、人口減少。その減少速度は、地域によって違います。猿払村はホタテの稚貝放流事業によって雇用が安定し、人口の減り方はゆるやかになっています。
一方、村は別の課題をかかえていました。それは、猿払出身の若者や村外からの移住者が取り組みたくなるような仕事が、減少していること。地域で暮らす上で、仕事があるかどうかは最重要ポイントと言っても過言ではありません。なかでも、関わりたいと思える仕事があるかないかによって、地域に対する注目度は雲泥の差になります。
漁業に加え、酪農もさかんな猿払。二大産業とバッティングせず、むしろ相乗効果を生むような、若い人にとって心躍るような仕事を作れないか……。
そう考えた結果、村は農業に着手することを決意。2019年に猿払村IoT推進構想を策定し、その一貫として、施設園芸調査研究事業をスタートさせました。
「最北のイチゴの産地」を目指して
IoT技術を活用した農業をおこなう上で、重要だったのは、ワクワクするプロジェクトかどうか。着想から約5年かけて、ようやく動き出した当事業。
村外に暮らす若い人に向けて、どんな思いで農業にチャレンジすることになったのか、猿払村企画政策課の新家拓朗さんと中田哲吉さんに経緯をうかがいました。
── IoT技術を駆使して、現在どんな作物を育てていらっしゃるのでしょうか。
新家:現在はチンゲンサイやほうれん草、レタスなどを育てています。それから2月からはイチゴ作りを始める予定です。
── 寒冷地で野菜作りとなると、他にも種類はあるかと思うのですが、葉物やイチゴに着目したのは、どうしてですか?
新家:初めは、イチゴを作れたらおもしろいんじゃないかと、シンプルに思い立ったのがきっかけです。ただ、村の未来を考えたときに、漁業や酪農は順調とはいえ、若干人口が減ってきています。僕が平成10年に役場に就職したときは、人口が3,200人くらいだったんですが、今は約2,700人です。ですので、23年間で、だいたい500人くらい減っていることになります。
一度、ホタテを獲り尽くして、稚貝放流を始めたら人口が安定した経験がある猿払だからこそ、新しい時代に即した違う視点で、何かできないかを考えていました。その中で、イチゴを育てられないかというアイディアが生まれたんです。
中田:冬場にイチゴを作るとなると、まず加温するコストがかかります。その上、札幌や旭川といった一大消費地から遠いですから、輸送コストもかかる。さらに、冬は国産のイチゴがたくさん出回るので、競合が多いんです。
じゃあどうしたらいいかを考えて、夏場のイチゴはほとんど輸入に頼っている状況を聞いて夏に出荷できれば勝算はあると思いました。
通年雇用を創出したいというのも、このプロジェクトの目的。じゃあイチゴを育てていない間は何ができるかを考えていた時に、北海道立総合研究機構さんの研究結果を教えていただく機会があり、無加温で野菜が作れることを知りました。加温しなくて良いとなると、コスト削減になります。
宗谷地域で葉物栽培をやっているところも多くないので、周辺地域に需要があるのではないか、ということも分かってきました。わざわざ都市部へ運送するコストも、これで回避できそうだ、ということで、葉物野菜とイチゴを作る方針が決まったんです。
新家:いろいろな方に知恵をお借りして、アイディアを練り直しながら、これだったらいけるんじゃないかと見立てられたのが、イチゴと葉物野菜の組み合わせでした。イチゴは単価が高いですし、猿払で作っている牛乳やアイスとの相性もいい。
村で生まれる資源を、村の中で還元していけるような仕組みが、もしかしたらできるんじゃないかと思っています。今年、地域おこし協力隊が二人、野菜作りをスタートさせて、ようやく走り始めたという状態です。
村民に食べてもらい健康促進の一助に
── ハウス栽培が今年スタートしたばかりということですね。
中田:現在は、2棟のハウスの中で複数種類の野菜を育てています。自治体が農業の実証研究をおこなう事例は、宗谷地域では前例がないんです。私もハウスに顔を出すようにしていますが、農業の専門家ではないので予期していなかったことも起こります。いろいろなことを勉強している毎日ですね。
── 現在作っている葉物野菜は、どこへ出荷されるのでしょうか。
中田:まずは村民の健康に繋げられないかと考えているので、地域の方々に食べていただきたいですね。葉物に限らず、イチゴも同様です。まだ検討中ですが、保育所や学校給食の食事として提供できないかなと。
新家:栄養士さんや調理師さんにも、食べてもらいたいですね。「この味なら、こういうふうに使った方がいいんじゃないか」とか「学校給食として出すにはもう少し量が欲しい」などアドバイスをいただけたら。村民収穫祭のような形にして、地元の人たちに販売できる機会も作りたいな、と。
それから、ふるさと納税への展開も考えています。売り物というよりは研究事業の成果物として、猿払産の野菜やイチゴを楽しんでもらえたらと思いますね。
猿払の農業は、おもしろい!
新家さんと中田さんの取材後、葉物栽培とイチゴ作りを担当している、地域おこし協力隊の塚田治幸さんと飯田大志さんにお会いできました。そして、ハウスの中を見せていただけるとに。手探りでも楽しそうに、猿払の農業を切り拓く、お二人にもお話をうかがいました。
── お二人はどういう経緯で、この事業に心打たれて移住されたのでしょうか。
塚田:6月末まで東京でサラリーマンをやっていたんですが、大学生の頃からキャンプが好きで、そのうち自然を相手にする仕事をしたいと思っていました。
知人が地域おこし協力隊に着任したのをきっかけに、協力隊の制度を知って、情報収集しているうちに猿払村の求人を見つけて。最新技術を使った研究目的の農業というところに惹かれて、ほぼ即決でした。
飯田:移住する前、僕は千葉にいて、去年初めて猿払村に来ました。ホタテで有名だということは知っていたんですが、猿払のことを調べた際、新たな産業を生み出そうとしているクリエイティブな姿勢を知り、この事業に興味がわいて、協力隊に応募しました。
── 猿払の農業を通じて挑戦してみたいことは、ありますか?
塚田:村にある唯一のスーパー「Qマート」に、季節問わず、猿払の野菜が何気なく並んでいる日が、早く来るといいなと思っています。あと個人的に研究がすごく好きなので、どれくらいの温度なら野菜はどれくらい育つのかとか、味がどこまで豊かになるのか、逆にどうすると野菜が作れないのかという、いろいろなデータを集めたいんです。最高品質の野菜は、どういう環境において、どれくらいのコストがかかってできるのか、知りたいなと思っています。
飯田:野菜ができたら、まずは村民の方に食べていただきたいですね。どういう形になるか分からないけど、地域の方とつながりが生まれたら、僕はうれしいです。「あの野菜を作った人だ」と、村の人に知ってもらえたら、なおいいなって思います。
── お二人がこれから築く猿払の農業に惹かれて、新しい方が入って来てくれるとよいですね!
中田:このプロジェクトの先には、村外から新しい人を呼び込んだり、村外へ出ていった子どもたちが戻ってくるための取組みが控えています。ですので「思い描いていた仕事や暮らしが、猿払だと実現できそうだ」と思ってもらえるような、魅力的な農業の現場や商品にしたいですね。今年、初めて葉物やイチゴを栽培するわけですが、村の方や村外の方からどういう反響をいただくか、楽しみです。
漁業や酪農業が、すでに盤石な猿払。けれどそこに安住しないのが、未来を見据えた村の視野の広さを物語っています。
既存の産業に相乗効果をもたらしつつ、より魅力的な仕事を生み出すべくスタートを切ったIoT推進事業。冬に猿払産の葉物野菜が購入でき、日本最北のイチゴが生まれる日も、そう遠くないでしょう。農業への挑戦が、猿払の新しい未来を築く、大きな一歩になるに違いありません。