幸せを集めて広げて。ルスツリゾートが描く「村と一緒にbe Happy!」な未来
留寿都村事業者の想い
文:本間 幸乃 写真:斉藤 玲子
北海道一の規模を誇るオールシーズンリゾート「ルスツリゾート」。約820ヘクタールの敷地にはスキー場と遊園地をはじめ、ゴルフ場、宿泊施設などが揃い、1981年の開園以来多くの人々を魅了する唯一無二の高原リゾートです。
ルスツリゾートがあるのは、約2,000人が住む留寿都村。この小さな村からなぜ「道内最大級」のリゾートが生まれたのでしょうか?加森観光(株)ルスツリゾート取締役総支配人の山下幸一さんに、これまでの歩みとルスツリゾートへの想いをうかがいました。
村からのオファーで始まった「地元の人たちが楽しめる」リゾート
ルスツリゾートの始まりは1981年9月。同年経営破綻した「大和ルスツスキー場」を引き継ぐ形でスタートしました。スキー場から始まったルスツリゾートが、北海道最大級のリゾートに至った背景について、まずはうかがいます。
ーールスツリゾートの前身である「大和ルスツスキー場」を引き継ぐきっかけはなんだったのでしょうか?
山下:スキー場の継承先を探していた留寿都村から、加森観光にオファーをいただいたのがきっかけでした。「加森さん、ここを観光地にしてほしい」と。
加森観光の前身は、北海道登別市にロープウェイをつくった会社です。建設のきっかけは、「観光名所を作ってほしい」という地元の人たちの声でした。
いざロープウェイを作ったものの、山頂は霧が濃くて景色がよく見えなかった。そこで新たにつくったのが「のぼりべつクマ牧場」でした。ありがたいことにクマ牧場は、道内外から多くの方が訪れる人気のスポットになりました。
登別での成功例が、留寿都村からのオファーにつながったのです。
ーー大和ルスツスキー場からバトンを受け継いでからは、どのように歩まれてきたのでしょう。
山下:スキー場の運営からスタートしたものの、全国的な知名度は高くありませんでした。
当時から北海道のスキー場といえばニセコ。ルスツは札幌や苫小牧など、道内近隣からの利用者が多い場所でした。
状況を打開するため、村との協議を重ねて立ち上がったのが、冬はスキー、夏は遊園地というリゾート施設の構想です。当時はまだ北海道に遊園地はなく、気軽に道外へ遊びに行く時代でもありませんでした。「北海道に遊園地を作り、北海道の子どもたちに楽しんでもらいたい」と、建設に踏み切りました。
1983年の遊園地開園を皮切りに、スキー場の拡大、ゴルフ場の建設、宿泊施設と、少しずつ施設を増やし、規模を広げてきました。
日帰り施設から充実させたのは、留寿都村に住む人や、近隣の人たちが気軽に遊びに来れるリゾートを目指していたからです。ルスツリゾートが描き続けてきたのは「留寿都村の人たちも一緒にハッピーになれる」ビジョン。今でも毎年のオープン日には、村の子どもたちを遊園地に招待しているんですよ。
「ゼロからつくる」の逆を行く。生き残るために選んだ二番手の道
「村に住む人が楽しめるリゾート」を軸に、少しずつ規模を広げたルスツリゾート。1980年代後半、日本はバブル景気に突入し、道内では次々と新たなテーマパークが開園しました。しかし、その後のバブル崩壊とともに相次いで閉園。
時代のうねりの中でも、ルスツリゾートは歩みを止めることはありませんでした。
ーーバブル時代に多くのテーマパークが生まれ消えていった中、ルスツリゾートは今なお成長を続けていらっしゃいます。それはなぜでしょう?
山下:我々はバブルには乗らなかったんです。むしろ周囲とは逆の方向性を選んだといっても良いかもしれません。
のぼりべつクマ牧場で成功した加森観光は、札幌市内の不動産を取得し、夏はクマ牧場、冬はルスツスキー場、通年で不動産収入と、経営を安定させました。
その最中に起こったのがバブル景気です。周囲が不動産投資に注力する中で、価格が高騰した不動産には手を出さず、ルスツリゾートの日帰り施設に投資する方向へ舵を切りました。
投資といっても、遊園地の遊具にはそれほど費用をかけていないんです。初めて入れたジェットコースター2機は、閉園した千葉県の遊園地に「コースターをください」とお願いしに行って、譲ってもらったんですよ。
ーーそんなことができるのですか!
山下:引き取り希望が何件かあったそうですが、当時の社長であり、現会長 加森公人の熱意により譲ってもらったと聞いています。
北海道までの輸送費こそかかりましたが、ジェットコースターの解体・組み立ては自社で担い費用を抑えて。ロープウェイで培った、高い技術力を活かしたんですね。中古品であっても、ネジなどの部品を交換すれば長く使えます。初代ジェットコースター2機は今も現役ですよ。
ジェットコースター同様、リゾート内にある遊具の多くは、かつて他の遊園地やテーマパークで使われていたものです。“ゼロから作る“はやっていない。そもそも「大和ルスツスキー場」も譲り受けたものです。
「雪道を歩くときは人の歩いた跡を歩け」は会長の好きな教訓です。「誰かが作ったもの」を取り入れ徐々に変化し、広がって、現在のルスツリゾートがあります。
ーー各所からものが集まると、軸がブレてしまうのではと思ったのですが。それでも「ルスツリゾート」が成り立っているのが面白いですね。
山下:成り立つ理由は、ルスツリゾートが村内で唯一のレジャースポットだから。いろいろなものがあった方が楽しめますし、それで良いと思っています。
中古品を集めていると、世界中から情報が寄せられるんですよ。ホテルエントランスにある2階建てメリーゴーランド「カルーセル」は、アメリカにあったもの。「もっと多くの人に見てほしい」「使ってほしい」と、リゾートに寄贈されたものも多くあります。
ーー「周囲と一緒に変化してきたリゾート」という印象を受けました。
山下:そうですね。ルスツリゾートは変化を恐れないですし、これからもどんどん変わっていきます。
流れが止まった2年を乗り越え、生まれた好循環
「先導者ではなく常にセカンド」でいることで、他のテーマパークとは一線を画す運営スタイルを確立させたルスツリゾート。周囲の声に応えながら変化を続け、今年で43年目を迎えます。これまでの歴史の中でも「特に大変だった」と山下さんが振り返るのが、新型コロナウイルスの影響でした。
山下:コロナは長すぎましたね。本当に長かった。リゾート周辺からは人が消え、代わりに見たことのない山鳥が歩いている。そんな状態が丸2年ほど続きました。
助成金の活用など、何とかこの苦境を乗り越えようと、各セクションが奮闘しました。
ただ、苦しかったことよりも、その苦しさを乗り越えた楽しさだったり、嬉しさだったりの方が、私は節目に感じるんです。
ーーその“節目“とは?
山下:修学旅行が戻ってきたことです。当時私は営業部長で、学生団体を多く担当していたので、特に印象に残っています。
まだルールが非常に多かった頃に来ていただいたのが、神戸の高校です。旅行中はマスクを着け、広いブッフェ会場では無言で食事。我慢の多い学生生活を送ってきたであろう生徒たちを何とか楽しませようと、サプライズで花火を打ち上げることにしたんです。当日無事に上がった花火を見て、生徒たち、特に女の子はみんな泣いてしまって。旅行会社の方ももらい泣きしているのをみて、私も泣いてしまいました。
これまでさまざまな節目があり、そのたびに苦労してきましたが「リゾートや旅には人に夢や元気を与える力がある」と、実感する場面でもあります。
ーー「コロナがいつ終わるんだろう」と、先の見えない時期もあったと思います。諦めずにいられた原動力は何だったのでしょう。
山下:会長からの「絶対乗り越えられる」という言葉が支えになりました。コロナの感染が拡大し始めた頃に話してくれたんです。
会長は「人の後についていく」「中古にしか興味がない」と言いながらも、「ルスツに来た人に楽しんでもらいたい」という信念はブレない人。だからこそ、さまざまな人に頼られ、その声に応え続けてきたのだと思います。
「会長には多くの影響を受けてきた」という山下さんがルスツリゾートに来たのは、35年前。ベルボーイとして働き始め、フロント、予約、営業を経て、2023年4月に総支配人に着任しました。コロナの規制が緩和され、「これからお客様が戻ってくるぞ」というタイミングでバトンを渡してもらったと言います。
ーー山下さんが総支配人になられてから、注力したことはありますか?
山下:現場のアイディアでリゾートが動く体制づくりです。今までは本部からのアイディアや指示のもと動く体制だったのですが、現場スタッフの要望や意見を聞き、実行できる環境を作っていきました。
ーー現場のアイデアからはどんなものが実現したのですか?
山下:飲食に関することが多いですね。たとえば和食レストラン「雪花亭」のジビエしゃぶしゃぶ鍋。蝦夷鹿肉など「北海道ならではの食材をしゃぶしゃぶにしたら喜ばれるのではないか」という、レストランスタッフのアイデアから生まれたメニューです。
このラウンジもカフェ風に改装したことを機に、「おいしいコーヒーを出したい」というスタッフの意見から、イタリア製のエスプレッソマシンを導入しました。
「おいしいものを出したい」「こうしたらお客様に喜んでもらえる」というスタッフの想いからスタートしたことが、良い流れを生み出していると感じています。
「留寿都に住みたい」という村の中心に
現場の声を活かす環境を整えると「働いている側も元気になってくる」と山下さん。好循環が生まれているルスツリゾートの今後をうかがうと、「難しいですね」と少し考え込む姿が見られました。
山下:本当はリゾートのビジョンを伝えたいのですが・・。
今思い浮かぶのは、スタッフのことです。「仕事は好きなんだけど辞めていく」現状を何とかしたい。
ルスツリゾートは、村の基幹産業である観光の中心地です。「留寿都村に住んで、ルスツで働きたい」と思ってもらえるリゾートにしたいという想いが、今は強いですね。
ーー「村の人たちもハッピーに」という冒頭のお話を思い出しました。スタッフの方も村の住民の一人ということですよね。
山下:はい。リゾートはもちろん、「ここに住みたい」と思える環境を留寿都村と一緒にデザインしていけたらと思います。
ーー最後に、山下さんにとってのルスツリゾートとは、どんな存在ですか?
山下:・・私にとってのルスツリゾートとは。
ーーはい。
山下:「感謝」でしょうか。目をつぶると、入社してまもない頃のテニスコートが浮かぶんです。テニスコートのネット張りは若手ベルボーイの仕事でした。当時の同期や上司、お客様と過ごしたさまざまな場面であったり、出会った人であったり、思い浮かぶことが非常に多くて。それら全てに感謝して、お返しをしなければならないという想いがあります。
「ルスツリゾート」そのものにも「感謝しています、これからもよろしくお願いします」と伝えたいですね。
じっくりと言葉を選びながら答えてくださった山下さん。取材後「総支配人に着任してから初めての取材だった」と明かしてくださいました。
取材中には、取引先からの挨拶に笑顔で応える場面も。その姿は、周囲の声に応えながら広がったルスツリゾートの歴史に重なりました。
ルスツリゾートはこれからも、村に住む人と訪れる人の幸せを描いていきます。
Information
ルスツリゾート(運営:加森観光株式会社)
〒048-1711
北海道虻田郡留寿都村字泉川13
電話:0136-46-3331(代表)