理想と現実のはざまで。長万部アグリが探るスマート農業の可能性
長万部町事業者の思い
文:高橋 さやか 写真:小林 大起
「かにめしのまち」として知られる長万部町。内浦湾に面した地形を生かし、古くからホタテや毛ガニなど、水産を主要産業としてきました。基幹産業である水産業に加えて、農業でも町を盛り立てようと、アグリビジネスの確立に向けた先進的な取り組みが行われています。地方創生事業のパイロットファームとして、2017年にスタートした長万部アグリ株式会社。農場長を勤める黒川さんにお話をうかがいました。
地方創生からはじまった新しい農業のカタチ
長万部アグリに到着後すぐに案内されたのは、トマトハウス。一般的な農場のイメージとは異なり、土が見えない不思議な空間です。すずなりのミニトマトが赤くキラキラと輝く中、まずは長万部アグリ誕生の背景について紐解いていきましょう。
ーー長万部アグリは、東京理科大学と長万部町の地方創生事業が起点になっているそうですね。
黒川:はい。長万部町と東京理科大学が連携して、2015年から「再生可能エネルギーを活用した先進的アグリビジネス事業」をテーマに地方創生事業がスタートしました。その際、長万部アグリの親会社であるアストマックス株式会社が、コンソーシアムメンバーとして参画。アストマックスは、地方創生事業や再生可能エネルギー事業を展開していた経験があったことから、白羽の矢が立ちました。
当初はレタス栽培からスタートしたのですが、収益性を確立するのが難しかったそうです。試行錯誤をへて目をつけたのが、ミニトマトでした。
ーーどうしてミニトマトだったのでしょう。
黒川:高糖度のミニトマトをブランド化して事業展開できると考えたのです。
株式会社プラントライフシステムズという農業系ベンチャー企業が、廃棄された珊瑚を活用した「培地」で、高糖度のミニトマトを栽培するノウハウを持っていました。
アイリッチ農法という水耕栽培の一種で、珊瑚や、同様の性質をもつ焼成したホタテ貝殻を利用した培地は、植物にとっては厳しい環境の強いアルカリ性です。その厳しさが逆に、植物にとっては「筋トレ状態」に。水分と養分を必要な分だけ与えることで、糖分がギュッとつまったミニトマトを、安定して収穫できるのです。長万部町ではこれまで、ホタテの貝殻が産業廃棄物となっていました。それを「培地」として、土がわりに使用することで、より地域に密着した商品が作れるだろうと。
株式会社プラントライフシステムズとアストマックス株式会社が共同で、長万部アグリ株式会社を設立しました。ここは新しいミニトマト栽培のシステム確立を目指す、パイロットファームのひとつです。
ーー先進的な農業は利点もありますが、取り組む中での難しさもあるのでは?
黒川:そうですね。本州にある先行のパイロットファームと同様に、トマトハウスをつくりましたが環境が異なります。北海道は気候も違いますし、長万部は日照時間も少ない。トマトの生育や、実を美味しくするには光合成が必要です。実を赤くするには、気温の積算値も必要。収穫が当初の想定に追いついていない時もあり、試行錯誤ですね。
気温がマイナスになる北海道で、暖房を焚きながら12ヶ月栽培という未知の世界に挑んでいます。
挑戦の農場に訪れた挑戦者
農場を軌道に乗せるため、試行錯誤の日々だと語る黒川さん。農場長になったのは意外にも2021年の6月からだそうです。
ーー農場長になって間もないのですね。驚きました。どういった経緯があったのでしょう?
黒川:僕はもともと釣りや狩猟が趣味で。栃木に住んでいたので日光に入り浸ったり、北海道にもよく訪れていました。自然が身近にある憧れの場所でしたね。
前職は大手自動車メーカーでした。2020年2月まで、アメリカのミシガン州に海外赴任していて。自然が近い環境での生活っていいなと思いを強くしました。帰国して少したったタイミングで、長万部アグリの募集に出会って、そこから、いきなり農場長です。
ーー大手自動車メーカーを辞めてまで、長万部にきて農業をやろうと思うってすごいなと。その決意というか、原動力ってどこからきたのでしょう。
黒川:そうですね。周りにもすごい行動力とは言われましたね。なぜ今までの生活を捨ててきたか。
僕、子どもの頃から車やバイクが好きだったんですね。整備士を夢見た時期もあったほど。ただ、両親からの「将来の選択肢を広げるために、大学へは進学しておいた方が良いと思う」という助言を尊重し、工学部に進みました。
自動車関連の企業2社に勤めた中で、プロのメカニックに触れたんですね。そこで、自分のセンスや技術では到底かなわない世界だったことを思い知りましたので、結果的に良い選択だったと思います。前職では自動車の排ガスや燃費に関わる業務に携わりました。車両テストの計画や、テスト結果から目指すべき方向を導き出すスキル、国内外の当局との交渉を経験したことで折衝に関するスキルも身に付き、自分のキャリアを積み重ねる事が出来ました。
黒川:その積み重ねの中で、頑張りを評価いただいて海外赴任のチャンスをいただきました。赴任先で出会ったアメリカの人たちは、家族と幸せに過ごす時間のために、仕事があるという感覚。最初は「とはいえ、仕事しっかりやれよ」という気持ちだったんですけど。彼らと過ごすうちに、40歳を迎える自分の今後を考えさせられる事が多くなりました。
そこで北海道移住の願望と、自然に携わる仕事をしたい気持ちを今実現しよう!と決心して、今に至る感じですね。
ーーまったくの畑違いの仕事ですが、実際やってみてどうですか?
黒川:最初の1ヶ月は何が何やら。笑
でも、何か新しいことにチャレンジする時って、最初に吸収していく量がハンパないというか。海外駐在の時は言葉や文化の違いが大きかったから、それと比較すれば「なんだってやりゃできるでしょ」という気概はありました。
とはいえ、なかなか簡単じゃない部分ももちろんあります。
もともと農業をやりたいという気持ちはありましたが、ずっと試行錯誤です。この農場は特殊な栽培をしているので、農業と工業の間というか。前職の経験を生かしつつ、マネジメントしていくことは、やっていけるだろうと思っていましたが、自然が相手の面もあるので、自動車の時のように、全てが数字で割り切れるものではない難しさはあります。そういった部分をスタッフと一体になって取り組み、解決することを目指したいですね。
黒川:まだここに来て3〜4ヶ月。3年も経てば、見えてくることもあると思うんですよね。
すでに格付けジャパンで日本一の称号を得ている農場に、農場長として入っても、既存の仕組みの中で言われたことをやるだけになってしまうじゃないですか。自分が農場長になることで、大きな変化がある方が、やりがいがありますよね。
今は収穫量をより安定させるという課題はありますが、ミニトマトがものすごく美味しくできてます。味の評判も良いですし、お客さんに求められるものには、なっているのかなと。
ミニトマト嫌いのお子さんがぱくぱく食べてくれる、というフィードバックをいただくと、励みになりますよね。自分たちで食べてもおいしいし、お客さんに届きさえすれば、ちゃんと認めてもらえる。そこを信じてやってます。
畑違いだからこそ目指す日本一
「課題解決型のマインドとしては、やりがいを感じるんです」と話す黒川さん。試行錯誤の日々で、目指す姿について教えてもらいました。
ーー長万部アグリ自体も挑戦をしている会社ですが、黒川さんも挑戦者だと感じました。踏み出す怖さとかってないのでしょうか。
黒川:そうですね。挑戦って構えなくても、すべてが挑戦なんじゃないかな。構える前に、挑戦と思う前に、僕は一歩踏み出してるんですね。行動してるだけだと思います。
ーー今後の長万部アグリへの展望などはありますか。
黒川:長万部って昔は国鉄で栄えていたらしいですけど、今は住む人も来る人も減ってしまっています。だから、長万部を代表するような特産品にしていきたいですね。ミニトマトは美味しくできているので、これがもっと知れ渡って「アグリのトマト買いに、長万部に行こう」という存在にしたい。
おかげさまで、少しずつ知名度が上がってきて、ラジオなどで紹介してもらう機会も出てきました。メジャー化していきたいけど、いまは生産がおいつかない部分もあって。
大切なのは、ブランドをしっかり作っていくこと。日本の国民が、ミニトマトといったら「長万部のエンリッチミニトマト」と、なるように。今支えてくださってるリピーターさんを大切にしつつ。味の変動なく、収穫量を安定させるのが課題なので、これからも試行錯誤ですね。僕が毎日食べておいしいので、ぜひ一度トライして欲しいです。
終始軽やかな口調でお話してくださった黒川さん。「どうぞ食べてみてください」と言われいただいたミニトマトは、なるほど旨味がギュッと詰まっていました。さらに感動したのがミニトマトのジュース。甘みと酸味のバランスが程よく、一口ずつじっくり口の中に留めておきたいおいしさでした。長万部の新たな名産品を生み出す農場と、黒川さんのこれからに注目です。
会社情報
長万部アグリ㈱
〒049-3514
北海道山越郡長万部町富野92
070-4800-6833