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第2の人生にワインがかけた魔法 ニセコの未来へ繋ぐ終わりなき夢|ニセコワイナリー

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第2の人生にワインがかけた魔法 ニセコの未来へ繋ぐ終わりなき夢|ニセコワイナリー

ニセコ町事業者の想い

文:浅利 遥 写真:斉藤 玲子

「海の向こうには何があるんだろう?」ーー好奇心を抱き、佐渡島から世界を見渡した1人の青年。やがて長い海外生活を経て、第二の人生の舞台に選んだのはニセコ町でした。2005年に原野を購入して開墾を始め、誰も手掛けたことのなかったニセコでワイン造りに挑んだ本間泰則さん。

2016年にワイナリーを設立、ニセコならではの味を10年以上探求し続け、現在はスパークリングに特化したオーガニックワインを造っています。

酸が決め手 オーガニックで造るスパークリングワイン

6,000坪の畑づくりから、手探りの葡萄栽培はスタートしました。「今まで無かったものを築くわけですから、全てがプラスですよ」と、ワイン造りの過程を楽しんでいる本間さん。まずは、ニセコならではのワインの特徴についてうかがいます。

ーーニセコワイナリーではどんなワインを造っているのでしょう?

本間
:有機JAS認証を受けて、白とロゼのオーガニック・スパークリングワインを造っています。認証を受けているワイナリーは道内でもほんのわずか。製法はシャンパーニュ方式という、18ヶ月間以上瓶内で二次発酵させる製造方法にこだわっています。そうすることで、葡萄の凝縮された果実味と酸のバランスが取れた上品な味わいになり、きめ細かい泡が長く続く高級スパークリーングワインになるんです。

ーーオーガニックのスパークリングワインに特化しているのはなぜでしょう?

本間
:体内に入るものであることと、環境負荷に配慮して有機栽培に徹し、無垢なニセコのワインの味を表現したかったんです。「ニセコの気候に適した葡萄の品種は何だろう?」と実験を重ねていくと、ニセコの葡萄は収穫時に残る酸味が特徴的で、スパークリングワインに適しているという結論に至りました。

ーーニセコワイナリーならではの、スパークリングワインの特徴は?

本間
:複数の品種を混ぜて造っている点ですね。単一品種で美味しいワインは、各地に溢れています。ニセコにはワイン造りの先人がいなかったので、品種の特性を求めるよりも、ユニークな組み合わせを生み出したいと思いました。大体のワインは混醸しても2〜3品種で、それぞれの品種特性を楽しみましょうという考え方。ですが、ニセコワイナリーのスパークリングワイン2019(白)は、6品種混醸しています。

ーーニセコでしか味わえないワインですね!

本間
:他にはない組み合わせだと思います。それがニセコの味。毎年葡萄の収穫量が違うので、それぞれの年でユニークな葡萄品種の混合比率になり、ニセコの味を醸し出してくれます。これまで以上のワインを造るために、栽培方法と醸造方法をどう改善したら良いか常に考えているんです。楽しくて仕方ない!

ーー有機JAS認証を取得されているワイナリーは、道内でもほんのわずかとのことですが、取得する際の苦労もあったのでは?

本間
:環境に優しい農法ですよ、と言葉で言うのは簡単ですが、認証を取得して、さらにそれを維持し続けるのはとっても大変なこと。まず有機JAS認証を取得する際、化学合成農薬や化学肥料、遺伝子組み替えの資材などの使用は禁止です。すべての条件を満たした後、3年間の移行期間を経てようやく認証を取得でき、取得後は毎年認証機関の検査を受けて、合格することで認証を維持することができます。オーガニックワインを銘打つためには、畑だけではなく醸造工程の有機認証も必要です。こちらも同様に、毎年審査を受けて判定されます。

けれども、ゼロからのスタートなら「こんなもんなんだ」って思えるわけですよ。それが私のケース。比較する対象がなければ、今まで無かったものをつくるだけですから、全てプラス。どんな大変な結果になっても「実験だからしょうがないね」と、積み上げてきた十数年ですね。

畑違いの仕事から一変、ワインの道へ。 変わらずにある根っこの探究心

本間さんがワイナリーを設立したのは65歳。13年に及び海外駐在を含め、国際機関や金融機関での勤務を経て、50代後半から葡萄栽培を始めました。昔も今も変わらず「より良いものへ改善する探究心の塊」が常に新しいものを生み出しているといいます。

本間
:私は新潟県佐渡島で米農家の長男坊として生まれたんです。親は「好きなことをやれ」と後押ししてくれたので、小さい島にとどまるより、もっと広い世界に出たいという気持ちが強くあって。「海の向こうになにがあるのかなあ」と夢見るような少年時代でした。

北海道大学を卒業して、アメリカのイェール大学院に留学後、国際機関のあるフィリピンやメガバングのロンドン支店で駐在生活を送りました。日本に戻ってからは、外資系の銀行に転職して「常に新しいものを、より良くするために何ができるか」を考えて、実行する連続。ワインの世界でもそれは変わらないですね。

ーーそこから、なぜ畑違いのワインの道に?

本間
:ロンドンに駐在していた時に、ヨーロッパのワイン文化に触れました。そのころから、単にワインを楽しむだけではなくて、自分で造りたいという夢を持ち始めたんです。自分の働き方について見直したタイミングでもあり、日本に戻ってからはワイナリー立ち上げ計画を組んで準備を進めてきましたね。

ーーこれまでとは180度生活が変わったと思いますが、いざ夢を形にするぞ!と方向転換できたきっかけはあったのでしょうか?

本間
:息子が大学卒業して、親としての教育義務を果たしたことが大きかった。自分のやりたいことを100%自由に組み立てる時期に入ったと。それが暖めていたワイナリー計画を実行に移すきっかけになりましたね。先ずは資金を貯めて、土地を探して、原野を開墾。苗木を植えて、栽培経験を積み、葡萄を収穫して委託醸造し、酒の小売免許を取得。作ってもらったワインを販売し、最終的に果実酒醸造免許を取得、と順を追って進めていきました。

原野から開墾して葡萄畑をつくっていた当時の写真
原野から開墾して葡萄畑をつくっていた当時の写真

森の中を彷徨うように進んできた10年

ーー葡萄栽培を始めてからワイナリー設立までの約10年、壁にぶちあたったこともあったのでは?

本間
:そうですね。自分で評価できる知識や情報もない状態からのスタート。ニセコの気象条件に適した葡萄の品種特性も分からないまま、まずは世界中の寒冷な地域で植えられている代表的な品種を植えてみましょうというところから始まりました。

ワイン用葡萄も品種によって、元気いっぱい育つ子がいたり、病気に弱い子がいたり、枝の伸び方が不安定な子だったり、色んな個性があるわけです。その個性を理解出来るようになるまでは、暗中模索というか、暗い森の中をずーっと迷いながら歩いているような期間でしたね。実際に、葡萄の木が我々の想いとは裏腹に、何らかの原因で枯死し、自ら生涯を終えてしまったときは、十分な面倒を見てやれなかったと、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

また、豪雪地のニセコで永年生の果樹を栽培することの難しさを嫌と言うほど味わうことになりました。根雪の深さが2メートルにも達するニセコで、雪の下に埋もれたブドウは2トンもの圧力に耐えて冬を過ごします。春に雪が融け出すと、斜面にそって、巨大な氷のかたまりとなった根雪が氷河のようにゆっくり下に向かって動き出す。この時、氷に閉じ込められた枝に大きな力が加わり、ひどい損傷を受けることも。
 
これらを様々な工夫でひとつひとつ改善し、ほとんどの樹が無事に春を迎え、順調に秋まで生育し、実りを与えてくれるようになりました。

ーー知識ゼロの状態から醸造にはどう踏み切ったのでしょう?

本間
:2014年から2シーズンに渡って、北海道岩見沢市の醸造所10R(トアール)ワイナリーの醸造家ブルース・ガットラブさんに醸造の基礎を教えてもらったんです。彼がいなかったら、ワイン造りの技術を学ぶことは出来なかった。私が作った葡萄を10Rワイナリーに持ち込んで、彼がつきっきりで全ての工程を指導してくれたんです。始めの2年間はブルースレシピでワインを造って、それ以降は本間オリジナルレシピを生み出すべく研鑽を重ねてきました。

瓶内二次発酵をしている室内
瓶内二次発酵をしている室内

色んな方々から学んだ情報に加えて、自分の努力で今のワインに辿り着いています。
ニセコの素晴らしい環境で出来る葡萄は、大きなポテンシャルを秘めているから、みなさんが「え?これが本当にニセコで作られたワイン?」と驚く素晴らしいワインが造れているんですよね。10年間の試行錯誤の結果、自分なりの手法が見えてきました。

うまくいかないことはマイナスではなくて、「どうすればうまくいくか」を考える。その積み重ねで進歩があるわけで。最初からネガティブに捉えすぎると、先には進めないでしょ。改善するプロセスを楽しむようにしています。

ニセコの人々と共に成長するワイン

自分なりのワイン造りを確立しつつある本間さんですが、それだけでは完結しないと言います。仲間とニセコのワイナリーの輪を広げ、まちの未来を盛り上げていくところまでイメージを膨らませています。

ーーニセコに移住してワイン造りをする中で、まちとのつながりも築かれていったのでしょうか?

本間
:葡萄栽培を始めてようやく順調に育つようになった頃、当時のニセコ町役場の北沢副町長がうちを訪ねる機会があったんです。葡萄畑をご案内をした瞬間、「ここまで進めたワイナリー計画をまちとしてぜひとも応援する!」とおっしゃって、すぐに動いて下さり、小規模からでもワイナリーをスタートできる「ワイン特区」の認定を内閣府と交渉してわずか2ヶ月で取得してくれました。おかげで、大幅に投資額を圧縮してワイナリーを始めることができたんです。それ以降、片山町長が自らが応援団長になって、色んなところで宣伝して下さり、本当にありがたい限りです。

ーー町長みずから動いてくださったんですね。ワイン造りを続ける中でまちの変化はありますか?

本間
:今一番嬉しい変化は、「私は一人ではなくなった」ということ。つまり、フォロワーが現れたんですよ。第2、第3のニセコワイナリーを目指して、葡萄栽培を始める若い世代が次々と誕生しているんです。私が築いてきたワイン造りと味が共感を生んで、「自分も作りたい」というフォロワーが現れるなんて。こんな嬉しいことはないですよ。

ワイナリーの増加が持つ意味は、大きいんです。地球温暖化の影響で、近年平均温度が上昇している中、農作物の栽培適地が変化しています。北海道では寒冷地に適した作物を生産してきたわけだけど、温暖化の影響が大きくなっている。今年の夏は猛暑と小雨に見舞われて大打撃を受けた作物がたくさんありました。未来を見据えて、主力の作物を何に変えていくか?選択肢の一つが醸造用の葡萄なんです。それを仲間と一緒に実証していくことがこれからの目標です。

もう一つ嬉しかったのは、北海道庁主催のワインアカデミーで、名誉校長をされている田辺由美先生が、うちのワインをテイスティングの講義の中で取り上げてくれたこと。世界トップレベルのスパークリングワイン7本を紹介する中で、最後に「北海道で一番ポテンシャルが高いスパークリングワインがどこまできたのか、世界のトップレベルと比較しましょう」と。
世界と比べてニセコワイナリーが到達したレベルや価値などを、先生から高く評価していただき、背中を強く押してもらえました。

ワインがつなぐ相互扶助

ーー本間さんの次なる目標は?

本間
:次の目標はさらに高品質なワインです。熟成期間を今よりも長く36ヶ月以上にすると、より複雑な味と香り、きめの細かい泡ができて、シャンパンと肩を並べる品質になり、1本数万円という価格が実現します。ベースは揃っているので、決して無理な目標設定ではないと思っています。ワインはグローバルな商品なので、まさに、アメリカのメジャーリーグで活躍する大谷翔平を目指し、いかにワインのメジャーリーグで戦えるワインに品質を高められるか、日々作戦を練っています。笑

そして、ニセコワイナリーが目指すのは、ワインを造ることだけにとどまらず、ワインツーリズムなどの新しいマーケットを創出して、リゾートの価値を高める産業になっていくこと。
そのために今、新たな施設を増築しています。今までは年間の生産能力が3,000本でしたが、設備を拡張して9,000本に増やす予定です。この施設では、ワイナリー設立を志すニセコ町内の若い世代の方々がトレーニングの場として、栽培・醸造技術を習得し、将来的に自分のワイナリーを持って巣立っていくような場を目指したいですね。

ーーまちからの応援を受けて始めたワイナリーが、次はまちに還元していく番ですね。

本間
:私はニセコ町にあたたかく受け入れてもらえた。ワイナリーをスタートできた以上は、新たに挑戦する人へ恩返しじゃないですけど、何か提供できる枠組みをつくりたい。それこそが私が考える相互扶助。ニセコにワイン産業を立ち上げ、経済的な循環をより高めて、ニセコの魅力をさらに高めていきます。

ーー夢がありますね!

本間
:一歩一歩近づいているので、単なる夢では終わらせないですよ。家内ともよく話すんですが、ワインをきっかけに人との繋がりが多様になり、次々と接点ができて、想像もつかないほど人の輪が広がっているんです。私たちにとってワインは、人生をワクワクする方へ導いてくれる魔法のお酒です。

取材後、奥様のまゆみさんから届いた一通のメール。「身内ですが、夫の創意工夫に感心しています」と取材中には語られなかった思いを綴ってくださいました。メッセージには、本間夫妻がワインを通じて出会えた人々への感謝の意と、創意工夫でワイナリーを進化させていく熱意が込められていました。ニセコで初めてワイナリーを築いた先駆者の想いは、世代を超えて受け継がれていくことでしょう。

後日いただいたスパークリングワイン。爽やかな酸味ときめ細やかな泡が弾け、上品なハーモニーが口のなかで愉しめました。特別なひとときのお供に、本間夫妻が手がけるワインを添えてみてはいかがでしょうか。

会社情報

ニセコワイナリー
〒048-1542 
北海道虻田郡ニセコ町近藤194-8
電話番号 0136-44-3099

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