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ニセコ町

自然と呼応して編み出す猪狩農園の米づくり

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自然と呼応して編み出す猪狩農園の米づくり

ニセコ町事業者の想い

文:浅利 遥 写真:斉藤 玲子

「大きくいえば僕らだって自然の一部だと思うんです。」ーーいのちのはじまりに宿る、水や緑、風などの自然。自然の中で生き物は生まれ、作物が育まれ、私たちは生かされています。自然という言葉の捉え方はさまざまですが、ニセコ町で自然栽培に挑む猪狩農園4代目・猪狩和大さんは、自然との向き合い方が米づくりにも通じているといいます。

山水と雪の特性に恵まれた米づくり

猪狩農園では、作物の9割が米。地域の特性を生かして、なるべく農薬や肥料を使わない米づくりに取り組んでいます。まずは、こだわりの米づくりについて聞いてみましょう。

ーー猪狩農園ではどんな米をつくっているんですか?

猪狩
:主にYes!Clean※1という、北海道独自の条件をクリアした減農薬米をつくっています。環境保全型農業といって、通常の基準と比べて農薬が5割減、化学肥料が3割減というのがYes!Cleanの基準になっています。もう一つは、ピロール米といって、Yes!Clean基準のものにピロール資材という肥料を投入して栽培する米です。特徴は土のミネラルバランスを整え、藻類の光合成でイネが酸素をよく吸収できるような土作り。炊き上がった粒はピンとしてツヤがあり、噛むたびに味わいが広がります。他にも、農薬・化学肥料を使わずにつくっている特別栽培※2米もあります。

ピロール農法研究所による検査を経てピロール米に認定される。
ピロール農法研究所による検査を経てピロール米に認定される。

2021年の夏、北海道では史上最高気温を記録し、異例の猛暑日が続きました。干ばつよる農作物への被害も懸念されましたが、猪狩農園があるニセコ町宮田地区では、近くに大きな川が流れているおかげで、田んぼに繋がる水路の水も途切れることなく、すくすく育ってくれたそう。

ーーニセコならではの米づくりとはどんなものでしょう?

猪狩
:安全で美味しい米づくりに欠かせない水の質が良いというのは、この地区の特徴だと思います。この辺にはルベシベ川が流れていて、源流の昆布岳には貝の化石があるんですね。かつては海に沈んでいたことから、昆布岳から流れる水はミネラルが豊富だと聞いたことがあります。うちの田んぼは、ルベシベ川から水を引いているんですよ。

それと、雪氷熱エネルギーを利用した米穀貯蔵庫。農協が管理している雪利⽤⽶穀貯蔵庫に、うちのお米を保管してもらっています。冬の間に降った雪を貯めて、冷気が必要になる夏場に、雪が溶ける冷気を冷房のエネルギー源にしている倉庫なんです。建物としても省エネになるし、無限にある雪を使うことで、環境に負荷をかけずに保管することができます。

猪狩農園から望む田園風景。
猪狩農園から望む田園風景。

農業を継ぐ前に色んな景色を見て、気づいたこと

猪狩さんの曽祖父母は明治時代に入植者として、福島から北海道に移住してきました。農家の家系で育ちましたが、すぐには継がなかったそう。高校卒業後は地元のニセコを離れ、秋田と愛媛で11年間生活を送りました。農業とはかけ離れた仕事も、そこで得た気づきが今に繋がっていると言います。

ーー農家を継ぐ前はどんなことをされていたんですか?

猪狩
:秋田の短大で農業土木を学んでいました。農業技術について勉強しているうちに、どうしたら農業で農村を発展させることができるのかということに関心が向いて、短大を卒業後、愛媛の大学に編入しました。大学卒業後は愛媛に住んで、スポーツジムで働いたり、松山市内のホテルで6年働いていました。

ーー実家の農業を継ごうと思ったタイミングはいつ頃だったんでしょう?

猪狩
:地元を離れた時から、漠然といつかは地元に戻ろうと思っていました。ただ、そのタイミングがいつになるか、というところまで考えていなくて。ホテルでの勤務年数が長くなると、責任者を任される立場になり、「もう一踏ん張りするか、これが良い機会だと思って農業を継ぐか」すごく悩んで。
当時はちょうど30歳。農業を継ぐなら、両親が元気なうちに教わりながら一緒にやった方が良いんじゃないかって考えまして。結局ホテルは辞めて、2012年に戻ってきました。

ーー30歳での農業スタート。農業から一旦離れてみて思うことはありますか?

猪狩
:今年で10回目の収穫の秋を迎えたんですけど、まだまだ覚えることが多くて。父からしたら、「こんなことも分からないのか」ってこともあるようです。今となっては小さい頃に手伝いしておけばよかったな〜って思いますね。笑

僕は現場経験も未熟だし、先祖の人たちが築いてくれたところに乗っかっている状況。でも、最初から農業だけをやっていても比べるものがなくて、気づけないこともあったと思うんですね。接客業をしていた経験から、客観的に見れる部分はあるかな。幅が広がる感じがしますよね。

片隅にしまっていた「いつか」をカタチに

30歳から実家に戻って農業をはじめた猪狩さん。心の片隅には自然栽培への想いを抱いていました。いつかいつかと自問自答を繰り返して、猪狩さんが踏み出した挑戦の一歩には、出会いときっかけが想いの糸を紡いでいました。

ーー猪狩農園ではご両親の代から農薬・肥料を使わずにお米づくりを?

猪狩
:いえ、僕が地元に戻ってからです。自然栽培に興味をもったきっかけは、学生時代に自然農法の第一人者である福岡正信さんにお会いできたこと。授業の一環で自然農法について調べる機会があったので、直接アポを取って、愛媛県伊予市にある福岡さんの農園に足を運びました。

何度か訪問したある日、偶然、福岡さんと直接お話しする機会があったんです。それが最初で最後たっだんですけど。自然農法に対する考え方に間近で触れられて、貴重な経験でした。お会いした時は、頭の中が真っ白になるほど嬉しかったですね。

もう一つのきっかけは、ホテル勤務時代に「奇跡のりんご」を作る木村秋則さんのドキュメンタリー番組を観たこと。番組をきっかけに、本を読み漁っていたら「りんごより米の方が簡単」と書いてあったんです。ならば、自分にもできるんじゃないかって。この頃から、無農薬・無肥料栽培で米をつくりたいと思っていました。

ーー2つの大きなきっかけを経て、どのように理想の米づくりをカタチにしていったでしょう?

猪狩
:就農して1年目は親から言われるがままにやっていたんです。でも、頭の片隅には常に「自分が理想とする米づくりをいつやろう?いつやりたいんだ?」って。今までの自分のパターンからいくと、やろうと思っていても、ずるずる時間が過ぎていくことが多かったんです。「もうちょっと一人前になってから」とか、「自分で物事判断つくようになってから」って。でも、その「もうちょっと」に、やりたい気持ちを先延ばしにされてるような気がして。いつになるか分からないなら、2年目からやろう!と決意しました。

ただ、本の知識だけで始めるのは難しくて、近くで自然栽培に取り組んでいる農家を調べたんです。ありがたいことに、草分け的存在のせたな町の金谷農場さんと繋がることができて。父と一緒に会いに行けることになりました。

金谷さんは、僕が影響を受けた木村秋則さんの講演会に参加したのを機に、木村さんから指導してもらったそうで。その時のエピソードを父と一緒に聞けたのは本当に良かったですね。多分一人で行って、僕から父に説明しても響かなかったと思うんです。父と同世代の人から直接お話しを伺えたことで、父も理解してくれて、無農薬・無肥料での米栽培への挑戦がスタートしました。

無農薬有機栽培でつくっている田んぼ。左側にはルベシベ川が流れている。
無農薬有機栽培でつくっている田んぼ。左側にはルベシベ川が流れている。

自然に左右されながら挑む米づくり

理想の米づくりに向けて、猪狩農園は新たなステップに進みます。「自然栽培に関心を抱いたことをきっかけに、栽培方法を少しづつ改良していますが、⼀歩進んで⼆歩下がるの繰り返し」と語る猪狩さん。現在進行形で挑む猪狩農園の取組みを伺います。

ーー実際に理想の米づくりをスタートしてから苦労された場面もあったのでは?

猪狩
:当初は、案外上手くいったように思ったんですが・・。実は前年までの化学肥料があったことで、順調に生育しているように見えていただけだったんです。年々収量は落ちてしまいました。

雑草も最初は生えなくて「あれ?楽勝かも?」なんて思ってたら、水を張ってるうちに環境に適した草が出てくるんですよね。最終的には、草の中に稲が埋まるほど酷い状況になりました。

土づくりにも悩みましたね。田植え前の育苗の段階で肥料を使っていたら、完全な無農薬・無化学肥料にはならないんです。そのため、土から改良する必要がありました。山の土を取ってきて、そこに糠や燻炭を混ぜて、水をかけて湿らせ温度を上昇させる。それを何回か繰り返すと、栄養を含んだ完熟堆肥が出来ます。5年目あたりでようやく、苗の段階での無農薬・無化学肥料をクリアしました。

ーー安定した収量を確保するまでは、すごく長い道のりだったのですね。

猪狩
:実を言うと、今でも安定してないんです。今の課題は、田んぼの土づくり。昔から「苗半作」という言葉があって、苗の出来で米の品質が半分決まっちゃうんです。で、もう半分は田んぼなんですよね。結局、苗の土づくりが上手く出来ても、植えた後にちゃんと育ってくれないと。なので、今は田んぼ自体の土づくりに力を注いでいます。

ーー除草や土壌改良など、次々と難しい課題に直面していますよね。心が折れそうになったりしないのでしょうか。どう乗り越えていますか?

猪狩
:同じような栽培方法の仲間と情報交換したり、人同士の繋がりで助けられていることは多々あります。あとは、完全に無農薬でやってない時から買って下さるお客さんもいて、そういう方とのやりとりが励みになります。

ちょっと冷めた言い方になっちゃうかもしれないんですけど。米農家は畑作物や他の産業と比べて優遇されている部分もあるので、「お米は甘やかされてる」と同世代の農家仲間との話やメディアなどで言われることもあって。
世間から見ると農業は補助金が多くて甘やかされているという印象があるかもしれませんが、世界的に見ると、日本の農業所得に占める補助金の割合は低く、30%程度なのだそう。むしろ、資材は年々値上がりするのに、米の販売価格は変わらないどころか、コロナ禍で価格は減少。今の状況が続けば数年後には、当農園の存続も難しい状況です。新規販路の開拓や栽培方法の模索など、個人で努力しなければならないこととは別に、努力だけではどうしようもないところまで来ていると思うことも多々あります。

知ろうとすることで繋がる輪

雑草や土壌改良に苦戦しながらも、特別栽培というところまで辿り着いた猪狩農園。猪狩さんは理想の米づくりで結果を残せるものにしていきたいと可能性を探っています。米づくりの向き合い方と、今後猪狩さんが目指す米づくりについて伺います。

ーー自然栽培を目指す中で、自然との付き合い方を考えることはありますか?

猪狩
:農業ってもともとのあり方としては、有機や自然栽培みたいなものだったと思うんです。自然の力を借りて、賄ってもらっている。だから自然に負担をかけながら作物をつくることって、僕自身は根本的にひっかかるんですよね。持続的にできる範囲で、環境に配慮した取り組みを実践していくことが好ましいなと思います。

ーー猪狩さんが影響を受けられた福岡さんの著書に、「人間は自然を知らない」という言葉がありますが、猪狩さんは「自然」をどう捉えてらっしゃいますか?

猪狩
:自然という捉え方も、決めつけすぎると苦しくなってくるんですよね。大きく言えば、僕らだって自然の一部だと思うんです。虫とか動物もそうですし、僕らが畑とか田んぼに関わるってことも自然の一部。だからこそ、他のものに害を与えるようなことはできる限り避けたいなと。長い時間軸でみると、いつかは全て浄化されて無くなってしまうものなのかもしれませんけど。

ーー猪狩さんにとって、米づくりってなんでしょう?

猪狩
:米について、まだまだ知らないことが沢山あるなと思っています。つくり方もそうですけど、食べ方も。日本で米を育てている一農家として、歴史や昔からの言い伝えだったりとか。自分が育てているものを探求したいですね。米そのものだけじゃなくて、関連事も知れば知るほど話題提供になるし、より一層美味しく米も食べられる。そうした営みを通じて、人との繋がりを持てるものですね。僕にとっての米づくりは。

ーー今後目指したいことや新たに考えている取組みなどありますか?

猪狩
:今は経済的な土台がある上で、特別栽培など実験的な取組みをしている段階だと思っています。今後はさらに、もっと色んな人に関わってもらえるような、そして応援し続けてもらえるような取組みをしていきたいです。

今農園では、米の加工品として麹もつくる予定です。麹も日本では昔から作られてますし、麹の発酵菌は国菌といって、日本の菌なんですよね。できる限り米の消費を増やして、外部の影響に左右されないような経営の土台をつくっていかなければいけないなと思います。

取材後、ピロール農法米をいただきました。鍋炊きしながら漂う美味しそうなお米の香り、艶やかで口に含むとふっくらした食感が広がりました。猪狩さんのお米づくりに向き合う姿勢に触れたことが、味わいをより豊かにしてくれたのかもしれません。

会社情報

ニセコ猪狩農園
北海道虻田郡ニセコ町宇宮田59
電話 0136-44-3243

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