ピックファーム大山が手がける、人にも豚にもやさしいミルキーポーク
中標津町事業者の想い
文:三川璃子 写真:小林大起
「家族が安心して食べられるものを」ーー配合飼料を使わず、オリジナルの飼料で育てられる、北海道中標津町・ピックファーム大山のミルキーポーク。
焼くとふんわりバターの香りが立ちのぼり、やさしい甘さと濃厚な脂身が特徴です。秘密は酪農のまち・中標津の乳業メーカーから出る副産物を使用した飼料にあります。
家族とともに歩んできたピックファーム大山の道のりを、代表の大山陽介さんと妻の大山久美さんにうかがいました。
はじまりは庭先での養豚
ピックファーム大山の設立は1986年。大山さんの父・清春さんが家の裏で豚を育て始めたのがきっかけでした。
陽介:父は雪印で働きながら、数頭の豚から自宅で養豚をはじめました。父は休日に豚舎のお世話をして、平日は母と祖母が管理して。当初は生まれた子豚を農家に売っていました。その後会社をやめ、本格的に養豚を始めたんです。
ーー清春さんが会社をやめて、養豚を始めようと思ったのはなぜでしょう?大きな決心ですよね。
陽介:父の先輩に養豚場の経営者がいたんですね。その人のところで豚肉を食べた時、あまりのおいしさに感動したそうです。
父は酪農家の息子として育ち、元来動物好きでした。勤めていた会社が経営の合理化を進めていたタイミングも重なり、28年間勤めた会社を辞める決心をしたんです。
本人は「サラリーマンは性格に合わなかったんだ」なんて言ってましたけどね。
ーー陽介さんは昔から家業を継ごうと考えていたんですか?
陽介:そうですね。豚と一緒に育ってきたようなものなので、自然な流れでした。高校卒業後は茨城県にある日本農業実践学園に2年間通い、卒業後は1年間農業実習のためデンマークへ。デンマークには豚の品種開発をしている会社があって、昔から畜産の最先端なんです。日本とは異なる技術や農業環境を学んできました。
「父の代でこの事業を終わらせるのは、もったいない」と思ったんです。
ーー最先端の技術を学んできて、経営面などでお父さんと衝突することはありませんでしたか?
陽介:それはなかったですね。父は合理的というか、新しいことをどんどん取り入れる人で、僕に対しても「好きなようにやっていいぞ」という感じ。
豚の勉強はしてきたので、僕の方が知識はありましたけど、経験面では父にかなわない。父に教わりながら、デンマーク流の「環境に配慮した農業」も意識して、お互いに補い合いながら進んできました。
ーー陽介さんが事業を引き継いだのは?
陽介:5〜6年前ですね。
2年前に他界した父は80歳になっても、「身体は動かすけど、口は出さないからな」って、死ぬギリギリまで働いていました。経営について全てわかっているのは父だったし、相談相手でもあったので、失った存在は大きかったですね。
ーー現在も家族で経営されているんですよね。
陽介:飼料の配合や農場の管理全般は私。妻は分娩豚舎を管理して、母が直売用のお肉の加工と販売を担当しています。パートさんも3名いて、交代で毎日2名来てもらっています。
ーー久美さんはご結婚されて、養豚場で働き始めてどうでしたか?
久美:私は全く別の業界で会社員だったんですけど、実家が酪農を営んでいたんです。
動物が好きで農業系の大学に行ってたので、大きな問題もなく。動物を怖がることもないし、一通り道具の使い方もわかりますしね。
ーー最強ですね。
陽介:あうんの呼吸というか、遠慮なく意思疎通できるのは家族経営の良さですね。
酪農のまち・中標津の副産物を活用し、おいしさを追求
山あり谷ありの道のりだったという、ピックファーム大山の歴史。おいしいお肉を作るため日々研究を重ね、たどり着いたのがミルキーポークです。ピックファーム大山では、育成豚には地域の副産物であるチーズやホエー粉を与え、母豚には地元で出る廃棄野菜などを与えています。
ーーミルキーポークのこだわりを教えてください。
陽介:家族に自信をもって食べさせられる、自分がおいしいと思えるお肉をつくりたいので、飼料にはこだわりがあります。
乳業メーカーから出る、チーズのハネ品や乾燥ホエー粉を飼料に活用しているんですよ。父がかつて働いていた職場のつながりから、仕入れることになりました。まだ栄養分があって活用できる素材なのに、このまま捨てるのはもったいない。仕入れができたらうちも助かるし、乳業メーカー側も廃棄コストが軽減されます。工場規模が拡大すると共に、廃棄量も増えたので有効活用しようと。
週に2〜3tほど仕入れていて、お互いに有益な仕組みだと思います。
チーズだけだと足りない栄養分が出てきたり、種類や量にも変動があるので、穀物を増やすなど栄養バランスを考えて餌を与えていますよ。
ーー自社で飼料をつくるのは手間とコストがかかることですよね。
陽介:そうですね。毎朝2時間ほどかけて撹拌して飼料を作ったりするので、手間はかかります。出荷までに育成する期間も長くなりますしね。
栄養価が計算された配合飼料を使えば、豚が早く育って出荷ができるので効率はいいんです。でもうちは素性のわかる飼料を使うことが、安心安全で美味しいお肉につながると思っています。
地域循環型のエコフィード※を取り入れる大山さん。時間と手間がかかっても、おいしさを追求する大山さんの想いとは。
※エコフィード(eco-feed)とは、食品製造副産物等を利用して製造された飼料のこと。
陽介:今も試行錯誤は続いています。
生育した豚の半分は出荷し、半分は自社で販売しています。毎回自分で食べてみて、味や硬さなどを確認しているんですよ。都度微妙に変化があるので「今回はとうきびが多かったかな?」とか「次は麦を増やしてみよう」など、味の変化を観察しています。
季節によっても豚の成長は違います。冬は夏よりもエネルギーの消費が多いので油を混ぜてみたり。いつも同じ飼料にはならない。だから、おいしい肉をつくるには毎回こまかな微調整が必要なんです。
五感を研ぎ澄ませ、豚の異変を察知する
日々試行錯誤しながら、家族で歩みを進めてきたピックファーム大山。生きものを扱うからこそ、一筋縄ではいかず頭を抱えることもあるそうです。
陽介:2023年の猛暑にはやられましたね。8月いっぱいまで蒸し暑くて、豚も夏バテしている状態。予定どおり発情期が来なかったり、種付けがうまくできず、豚が繁殖障害を起こしてしまったんです。出荷数が減り、ダメージは大きかったですね。
久美:豚って通常は、排泄場所と寝る場所をきっちり分けて生活する生き物なんです。それが昨年の夏は暑すぎて、涼しい排泄場所で寝てしまう豚もいました。
昼間は暑すぎても体を濡らして調整できますが、夜は逆に冷えて風邪を引いてしまったり。想像できないことが起きて大変な夏でしたね。
ーーさまざまな環境の変化のなかで、大山さんが大切にしていることはありますか?
陽介:豚をよく観察することです。いかに早く豚の異常を見つけられるか。
よく見ていないとお産が始まりそうな豚にも気づけないんです。お産中もスムーズに産まれない場合があるので、すぐに異変に気づいてサポートできるよう心掛けています。
「今日は少し呼吸が荒くなってる」とか「鳴き声が変だな」とか。自分の五感をフル活用して、わずかな異変に気づけるようにしています。
ーー毎日欠かさず見ておかないと、やっぱり異変に気づけないのですか?
陽介:そうですね。
久美:私は分娩豚舎を見守ることが多いんですが、親豚が子豚を踏んづけちゃうことがあるんです。その時の鳴き声はすぐわかります。やばい、助けにいかないとって。
ーーそんなことがあるんですね。結構容赦ないんですねお母さん。
陽介:豚によるんですよね、すごく慎重なタイプと雑なタイプと。寝るときに腕を曲げて、お腹を床につけてから横になる豚もいれば、バターンっていきなり横になる豚もいるんです。
ーー豚も一頭一頭性格が違うんですね。
中標津にやさしいおいしさを広げていく
日々小さな変化にも目をくばり、養豚を営む大山さん。中標津の地で、どんな未来を描いていくのでしょう。
陽介:日々変化に合わせて、維持することで手いっぱいな部分はあります。それでも今後は出荷数を増やすために豚舎を増設したり、環境に合わせて改築できたらと思いをめぐらせています。
父の時代から手作業中心だったので、人に引き継げる運営方法も模索していきたいですね。
今のところ飼料の配合などは、父から直接引き継いだ私しかできないんです。今後は養豚も厳しい時代になってくると思います。次世代に繋ぐためには、人を受け入れる土台づくりも必要です。
陽介:中標津という土地の恵みがあるからこそ、おいしいお肉が育つ。中標津の人にも、普段づかいのお肉として食べてもらえたらうれしいですね。
父から引き継いだピックファームを、まだまだ未来へ繋げていかないと。
安心して食べられる、おいしい豚肉をお裾分けしていきたいです。
手作業で丁寧に手間暇をかけて育つ、大山さんのミルキーポーク。お昼に町内の飲食店で、せいろ蕎麦とともにいただきました。温かいつゆにミルキーポークのほんのり甘い脂が溶け込んで、上品で滋味深い味わいでした。
「農業が好き、豚が好き」と語っていた大山さん。雄大な中標津の恵みと、大山さん家族の愛情に育まれたミルキーポークをぜひご賞味ください。
Information
なかしべつミルキーポークのピックファーム大山
北海道標津郡中標津町緑ヶ丘8-1
TEL:0153-72-4247