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中標津町

信じた道を切り拓く。日本初・一季成りイチゴの通年栽培を中標津で

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信じた道を切り拓く。日本初・一季成りイチゴの通年栽培を中標津で

中標津町事業者の想い

文:三川璃子 写真:小林大起

不可能を可能にした先に道は開かれる。ー年に一度しか収穫できない「一季成りイチゴ※」の通年栽培を北海道・中標津町で実現させた人がいます。株式会社シンクリッチ専務取締役の川上理世さんです。
 
一季成りイチゴの通年栽培は日本国内でも初。「無理だと思われることに挑んでこそ、勝機があると思った」と語る川上さん。これまで誰も成し遂げなかった挑戦の道のりをうかがいます。
 
※一季成りイチゴとは冬から春に実がなり、その後は実を付けないイチゴのこと。四季成りといって夏や秋にも実を付ける品種もある。

はじまりは、コロナ禍で受けた1本の電話

株式会社シンクリッチの創立は2020年、新型コロナウイルスの感染が拡大した年でした。当時東京で事業を営んでいた川上さん。中標津でイチゴ事業を始めたのは、友人の声かけがきっかけでした。

川上:新型コロナウイルスが蔓延した時期、これまで営んでいた事業が大打撃を受けました。きつい状況だった時に、声をかけてくれたのが長年付き合いのあった大能さんでした。「一度中標津に遊びに来い」と電話をいただいたんです。

株式会社シンクリッチ創業者のお二人。左:専務取締役 川上さん、 右:取締役代表 大能さん
株式会社シンクリッチ創業者のお二人。左:専務取締役 川上さん、 右:取締役代表 大能さん

川上:中標津に来てみたら、自然が本当に気持ち良くて。来た次の日に自転車を買って、町内や近隣のまちに遊びに出かけたり、道東もドライブして巡りました。関東で生まれ育った私からすると、全てが新鮮でしたね。

中標津町の観光スポット「開陽台」から見た景色
中標津町の観光スポット「開陽台」から見た景色

川上:すぐにでも「また遊びに来たい」と思いました。ただ次は何かしら“大義名分”を持った状態で、中標津に来たい。すぐに事業のアイディアを大能さんに相談しました。飲食店なども考えましたが、せっかく北海道の中標津で何か始めるなら農家じゃないか?と。
 
そんなことをお酒を飲みながら話していたら、ふと白イチゴを開発した、知人の前田さんを思い出したんです。すぐに電話しましたね。
 
中標津で一緒にできることを考えたいと誘ったんです。すると前田さんから「以前から一季成りイチゴの通年栽培を試してみたかった。北海道の気温ならできるかもしれない」と提案を受けたんです。
 
それならもう、チャレンジしてみよう!と。勢いで決断しました。

一筋縄ではいかなかった準備期間。救ってくれた町の人々

一季成りイチゴの通年栽培実現に向け、スタートを切ろうとした矢先。営農許可から資材の調達・・川上さんはあらゆる壁に直面しました。。前代未聞の取り組みには、厳しい声もあったと言います。

川上:前田さんと一緒に虫や土壌の検査をして、イチゴ栽培への準備をスタートしました。
 
まず必要だったのが中標津町からの営農許可。役場の農業委員会を何度も訪問して、自分たちのビジョンを伝えつづけました。「本当にできるのか?」と懐疑的な声も多かったですね。
 
逆風の中でも、当時農業委員会の事務局長だった坂井さんが、親身になって話を進めてくれ、ひとつずつ手続きをクリアしていきました。
 
2020年7月に構想してから町内のいろんな方に支えてもらいました。2021年、ついに農家として営農許可を取得しました。

ーー「懐疑的な声もあった」とのことですが、一季成りイチゴの通年栽培は国内でも事例がない中で、当初は厳しい声も多かったのでしょうか。

川上:9割の人が「無理だ」と言ってましたね。ジャンルは違えど農業のプロから見ると、「一季成りイチゴの通年栽培なんて無理だろう」と。
 
ただ僕は「難しい」と言われれば言われるほど、うれしい気持ちもあったんです。これ、成し遂げられたらすごいことだなって。
 
イチゴ農家さんは日本にたくさんいますし、同じことをしても太刀打ちできません。ましてやうちは、一番経済状況の悪いコロナの時期に立ち上げた会社です。限られた資金の中で人と違うことにチャレンジしないと、道は開けないと思いました。
 
周りが「難しい」という事業に挑んだ方が勝機がある。周りとはあえて逆を選ぶ。ニッチをリッチにするっていうのがこの会社の経営方針でしたから。

「ニッチをリッチに、考えて想像する」という意味をもった会社名。一季成りイチゴの通年栽培は、誰も踏み入れたことのないニッチを超えた領域でした。営農許可の取得までこぎつけた川上さんでしたが、資材調達にも苦労したそう。

川上:一季成りイチゴは通常冬〜春に収穫するので、苗や出荷用の箱は時期に合わせて準備されています。夏の収穫に合わせて資材を調達しようとすると、「うちは冬前しか作ってないから無理だよ」と言われることも多々ありました。
 
それでもめげずに、実際に赴いて業者さんと話をしにいきました。事情を話すと、最終的には皆さん協力してくれるんですよね。困っていたら「何とかするよ」って助けてくれる人がたくさんいて。北海道の人は本当に温かいなと思いました。
 
中標津町はいい意味でコンパクトなまち。誰か一人に困りごとを伝えると、人伝てで助けてくれそうな知り合いを紹介してくれる。そんな人脈がひろがっています。本当に町の人々には救われましたね。

信じてくれる人を守るため、必死にもがいた2年間

町の方の力も借りて必要な資材が全て揃い、2021年いよいよイチゴの通年栽培をスタートした川上さん。
「夏には育たない」と言われた一季成りイチゴが、夏や秋にも実をつけるようになるまでにはどんな試行錯誤があったのでしょうか。

ーー 一季成りイチゴの通年栽培において気をつけていることは?
 
川上:簡単にいうと、温度管理ですね。関東の一季成りイチゴの産地を参考に、常に平均温度を保つんです。関東で適温とされる1月〜3月の気温が、北海道では4月〜6月。つまり適温ではない7月〜3月の温度管理が勝負です。
 
夏は風通しをよくして温度をコントロールし、冬は温度が低くなりすぎないように暖房をつけています。冬は経費がかさみますが、ここを乗り越えれば通年で栽培することが可能なんです。

川上:イチゴ栽培は1日の平均温度が肝で、冬も平均温度がおよそ5度を切らなければ、実をつけることがわかっています。夜にマイナス20℃になったとしても、日中ハウスの温度を30℃にあげれば、平均10℃ほどになりイチゴは実るんです。
 
ーー中標津の気候は一季成りイチゴの栽培に適していたということでしょうか。
 
川上:ハウス内の室温コントロールによって、何とか一年中栽培可能な環境ができました。
 
イチゴの糖度は1日の温度差が大きくなればなるほど、高くなります。中標津は冬の間、寒暖差も大きいので甘みの強いイチゴができる。
 
北海道の中では降雪量が少ない地域なので、そういった意味ではイチゴ栽培に適しているなと思います。
 
ーー通年栽培がスタートして大変だったことはありますか?
 
川上:勢いでつくった会社だったので、技術指導者はいたものの、現地のスタッフは全員素人でした。最初はイチゴの苗につくハダニやアブラムシなどの害虫が出ても、見分けがつかなかった。害虫が出たらすぐに駆除が必要なんですが、わからずに害虫や病気で苗が死んでしまうこともありました。
 
夏はハウスが暑すぎて苗がくたびれ、実が一切実らなかったことも。冬は温度が低くなりすぎないように調整したり、全てが初めてで失敗も多かった。
 
少しずつスタッフがスキルアップして安定してきましたが、事業が形になるまでに約2年はかかったかな。

川上:スタートしてから2年間は落ち込む日々でしたよ。売上見込みを立てても、最初は全く達成できなかった。
 
イチゴが実るようになって、喜んでくれる人は増えましたが、会社的にはまだまだ。スタッフを守っていくべき立場なので、なんとかして事業を持続させようとがむしゃらでした。
 
代表取締役を担ってくれている大能さんや協力してくださった役場の方。たくさんの人が僕を信じてくれた。そうなったら僕はもう、何がなんでも軌道に乗せなきゃという気持ちです。
 
立ち上げてからの3年間ずっと、正直苦労しかないですよ。今だから言えますけどね。

支えてくれる人のために、辛い時期も弱音を吐かず乗り越えてきたという川上さん。
経営管理、事務手続き、販路拡大のための営業も川上さん自身が担ってきました。今や国を超え、海外でも販売されるようになったシンクリッチの「北海道ゆきいちご」はどのように広がっていったのでしょうか。

川上:北海道ゆきいちごは、北海道というブランド力があり、冬以外も手に入ります。他のイチゴと出荷時期に差をつけることで、イチゴがない時期に売れるニッチなところをターゲットにしました。
 
これまで営業の仕事はしていましたけど、市場の営業は初めて。毎日イチゴを持って、
「どうやったら買ってもらえますか?」と聞いて回りました。販路開拓はそこがスタートでしたね。
 
少しずつイチゴが出るようになって、箱を見て「仕入れたい」という商社やデパートから連絡をいただくようになりました。今はアメリカやヨーロッパにまで販路が広がっています。

珍しい白イチゴも甘みは劣らず、ジューシーで上品な甘さ。
珍しい白イチゴも甘みは劣らず、ジューシーで上品な甘さ。

ーー大変な時期が長かった中でも、川上さんがこれまでで1番ワクワクした瞬間はいつですか?
 
川上:1番記憶に残っているのは、初めてうちのイチゴが競りに出されたとき。市場で初めてイチゴの値段がつけられる、あの瞬間はドキドキしましたね。
 
初めて出したのは真夏の7月だったんですが、1パック2,800円の値がついた時には、言葉にならないほど嬉しかった。今でも忘れないですね。

中標津を新たなイチゴ産地に

一季成りイチゴの通年栽培という、日本初の事業に挑んだ川上さん。農業にたずさわったことで心境の変化もあったといいます。

ーー新たな事業として、農業に挑戦したことで心境の変化などはありましたか?
 
川上:全ての生活の原点は一次産業にあると思うんです。だから僕は農家をとても誇りに思っています。
 
農家としてはまだまだ新米ですが、知らない誰かが僕らの育てたイチゴを食べてくれていると思うと、本当にありがたいです。
 
贈答品として買ってくれるお客さんも多いんですよね。大切な人への贈り物に選んでくれるなんて、うれしい限り。農家にしかできない体験だなと思います。

ーー今後の展望を教えてください。
 
川上:中標津がイチゴの産地になれるくらいの収穫量を確保すること。そのためにまずハウスの増築を考えています。今は2棟ですが、土地は広いので、存分に活用していきたい。
 
ゆくゆくは町と相談した上で、イチゴ狩りができる観光農園もやりたいです。イチゴを使ったシェイクや、ソフトクリームなどの商品開発もできたらいいなと思ってます。中標津は空港も近いですし、もっと観光地として盛り上げられたらと。

作業のしやすさを考慮した、脱着可能な高設ベンチ。株や苗の移動ができるので、上段ではイチゴの収穫をしながら、下段では苗を育成することも可能に。
作業のしやすさを考慮した、脱着可能な高設ベンチ。株や苗の移動ができるので、上段ではイチゴの収穫をしながら、下段では苗を育成することも可能に。

川上:私たちのイチゴの栽培技術が上がれば、その技術を共有してフランチャイズ化も構想しています。冬に手が空く農家さんなどが、イチゴを作って収益が生まれるような仕組みをつくりたいんです。
 
今試験的に、イチゴを栽培してもらっている酪農家さんもいます。費用感や収穫量に問題はないか、販売ルートも確保しながら、実現に向けて走りだしているところです。
 
理想や夢はたくさんありますが、まずは会社を安定させるところから。
その先に、中標津=イチゴというブランドを確立させていきたいです。

取材日は7月。暑い時期にはイチゴの糖度が低くなってしまうとのことでしたが、一口食べてびっくり。柔らかくてジューシーなイチゴの甘酸っぱさが口いっぱいに広がりました。一季なりイチゴでしか体感できない味わいに感動しました。
 
成功を信じ、歩みを止めなかった川上さん。信念をもって未来を語り続けたからこそ、今があるのだと思います。中標津町=イチゴの産地に向けて、川上さんの挑戦はつづきます。

Information

株式会社シンクリッチ
〒086-1272
北海道標津郡中標津町開陽1360-1

TEL:0153-79-3535
FAX:0153-79-3553

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