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南相馬市

美味しい海苔文化を繋ぐ。黒潮海苔店が目指す地域に愛されるお店

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美味しい海苔文化を繋ぐ。黒潮海苔店が目指す地域に愛されるお店

南相馬市事業者の想い

文:高田江美子 写真:鈴木宇宙

南相馬市の原ノ町駅前に店舗を構える海苔専門店「黒潮海苔店」。昭和41年に創業し、今年で55年を迎えました。老舗の専門店と聞くと敷居が高い印象がありますが、“地元の海苔屋さん”として親しまれています。
創業からの歩みと大切に守り続ける海苔へのこだわりについて、二代目として店舗を切り盛りする専務取締役の小迫三晴さんにお話をうかがいました。

海苔専門店で生まれ育って

黒潮海苔店は小迫さんのご両親が創業。店内に足を踏み入れると、きれいに陳列された多彩な海苔や小迫さん自ら目利きした商品たちが、お客さまをお出迎え。店員さんとお喋りを楽しみながら買い物をするお客さまの姿も。地域の人々に愛される海苔店の創業からこれまでの歩みについて紐解きます。

ーー黒潮海苔店は小迫さんのご両親がはじめられたそうですね。
 
小迫
:そうですね。祖父の代は半農半漁で、海苔とあさりを養殖していました。その後現在社長である父が、実家で作っていた海苔の行商をはじめ、海苔・乾物の専門店として昭和41年11月に黒潮海苔店を創業しました。

父はよく「海苔は儲かるぞ」と毎日のように、子どもの僕に言ってました。当時は利益が出しやすい商品だったのでしょう。海苔は価格変動が少なく、卵につぐ物価の優等生と言われていました。それが、時代の変化にともなって物価が上昇していく中で、海苔は昭和の時代から10枚当たりの価格が変わらず。現在は、利益が出せない劣等生なんですよね。笑

ーー海苔の養殖から海苔の販売へとシフトしていったんですね。取り扱っている商品にもこだわりがありそうです。

小迫
:長くお客さまに愛されるものを置くことは大事ですね。
魚に旬があるように、海苔にも旬があるって知っていますか?海苔は一年中市場に出回っていますが、海苔も海の天産物。摘み取りが11月頃から始まり、3月中旬~4月中旬まで続きます。11月頃に各産地で最初に摘み取られた海苔は、「一番摘み」「初摘み」と呼ばれ、やわらかく薫り高い風味が特徴です。

それに、何よりこだわっているのが、「焼きたて」ということ。敷地内にある自社工場で製造しています。

ーー海苔の旬、知らなかったので勉強になりました。子どもの頃から海苔に囲まれてきて、いずれはお店を継ごうと考えていたのでしょうか。
 
小迫
:そうですね。小さい時からそんな環境で育ったこともあったので、「自分の仕事はそれしかない」と思っていた部分もあったと思います。自然と「いずれは自分が継ぐ」という流れになっていました。

ーー実際に継いだのは、どういったタイミングだったのでしょう。

小迫
:地元の高校を卒業した後、仙台市の専門学校で経理を学びました。名古屋市にある取引メーカーに就職して、7年間ほど修行。学びが多くて、修行の意味が大いにありましたよ。でも当時は、家業に対する熱意や心づもりみたいなものは、まだなかったと思います。今思い返せば、そこまで真剣にはなっていなかったなと。

地元に戻って家業に入ってからも、心境は大きくは変わりませんでした。「自分の進むべき方向とは?」と悩むことが多かったですね。

ターニングポイントになった物産展

7年間に渡る修行の後、家業に入った小迫さん。一方で、自身が進むべき道には悩んでいたと語ります。そんな小迫さんにとって転機となる出来事が訪れました。

ーー若い頃は、精力的にお仕事されている今の小迫さんとは違っていたのですね、意外に感じました。心境が変わるきっかけは何だったのでしょうか?

小迫
:福島市のデパートで開催された物産展への出店が、刺激的で勉強になる最高の場でした。前職での営業の経験を活かして、チャレンジしたんです。

当時の黒潮海苔店は、家族を中心とした家内工業。身内以外との関わりが全くありませんでした。物産展では、年上・年下・同年代と幅広い仲間ができて、本当に勉強になったんです。現場では利益の出し方、販売方法、他社の動向など、リアルかつ細かな情報をその場で得られて。さらに学びだけでなく、その場での営業も有効でした。県内の様々な特産品が集結する場で、1週間売り場をともにするとさまざまな関係が築かれます。そうした繋がりから、のちのち卸していただけることになった、ということも多々あります。

物産展を皮切りに、外販への道へ進みました。

ーー外の世界を見ることで、自分のやりたい方向性が見えたのですね。

小迫
:そうですね。物産展をきっかけに、様々な場所への納品がスタート。実際に販売させてもらって売り場を確保していく、というビジネススタイルが出来上がっていきました。
一方で、物産展への出店はコストがかかるんです。社長に赤字を責められることもしばしば。でも自分にとっては、それ以上に大切なものを得られる貴重な場です。初めての出展から20年ぐらい経ちますが、ずっと続けています。

以前の店舗前で撮影した、従業員の集合写真
以前の店舗前で撮影した、従業員の集合写真

人との繋がりが自分を変えた、東日本大震災

物産展への出展が転機となり、精力的に仕事に励んできた小迫さん。しかし、独自のビジネススタイルが確立された頃に東日本大震災が襲います。
「震災の話をすると、いまだに涙ぐんでしまうんですよね」と前置きしながら、被災当時について語ってくれました。

ーー東日本大震災が起こった時、お店はどのような状況だったのですか?

小迫
:地震発生時は、新店舗の打ち合わせをしている最中でした。慌てて全員で外に避難。集まった近所の人たちと、おしくらまんじゅうのごとく円を描き肩を組み合って、地震がおさまるのを待ちました。
お店は内陸なので、津波の被害は受けませんでしたが、翌日になってから、沿岸部の津波による甚大な被害を人づてに聞いて驚愕しました。

地震発生から5日後の3月16日までは、南相馬市に留まっていましたが、福島第一原発事故から避難するため17日から家族と愛犬で福島市へ移動。その後、妹夫婦のいる東京へと避難しました。

ーーしばらく東京に避難していたのですね。
 
小迫
:そうですね。避難先で何もやらずに過ごすのも嫌だなと考えていた矢先、テレビで東京にある「ふくしま市場」というお店に人が殺到しているのを見たんです。

震災直後、「福島の物を買って応援しよう!」という動きが巻き起こり、福島県のアンテナショップにお客様が殺到していて。「ふくしま市場」は、もともと得意先でもあったので
「これは手伝いに行かなければ」と、片道1時間半かけて通い毎日掃除をしました。
1ヶ月近くボランティア活動をさせてもらった間、東京のみなさん、ふくしま市場のみなさんには、沢山励ましていただきました。

ーーうれしい励ましですね。避難中、お店のことも気がかりだったのではないでしょうか。

小迫
:お店の状況も心配だったし、事業を再開しなくては、という想いがありました。東京から南相馬までのバスの運行が再開されたタイミングで、すぐに南相馬へと戻りました。

戻ったものの、避難している人も多く、まだあまり人はいない状況でした。でもありがたいことに、ECサイト経由で日本全国から注文が多数入ってきていたんです。2003年に立ち上げたものの、ほとんど手付かずで8年放置していたECサイト。アンテナショップだけでなく、ネット販売でも「福島を応援しよう」という動きが出ていたんですね。当時、その注文や応援の声が、とても励みになりました。

一方で、震災直後は物流が停止していました。隣町の相馬市の運送会社が、「持込なら発送するよ」とのことだったので、注文の品は毎日運んで出荷しました。
沢山の注文をいただいたものの、在庫はお店にある品限り。残念ながら全てのご注文には対応出来なかったんです。
物流が復旧し始め、ようやく商品を仕入れたり発送出来るようになったのは、それから2~3ヶ月後のことでした。

5年も経過するとそのムーブメント自体は落ち着いたけど、今でもその時の注文をきっかけに繋がっているお客様もいて、感謝しています。

しかし、世の中の応援ムードは一変。震災から2~3カ月過ぎると、風評被害との闘いがやって来ました。

小迫
:震災直後は「福島の物を買って応援しよう」という動きが強かったのですが、報道とともに、徐々に”放射能は恐ろしい”、というイメージが広まっていきました。

実際、福島県外の材料を仕入れて福島県内で加工していたとしても、「福島県の商品」「南相馬市の商品」というだけで拒絶され、売れなくなってしまったんです。
ようやく10年経過した今は言われなくなりましたが、当時は毎日のように言われ続けて、泣いていましたよ。

ーーそうだったんですね。震災を経て、心境の変化はありましたか?
小迫
:震災当時は大変で必死でしたが、今思うと、仕事が面白いなと感じ始めたのは震災後かもしれません。
その背景には、震災をきっかけとした、人との出会いがあります。
外からくる人とか応援して下さる人、自分が出向いた先。そういった人たちとの交流や繋がりを通して、地元である南相馬の良さや自分自身の仕事に対する想い、人と繋がることでさらに生まれる広がり。「ああそっか・・・」と、気付かせてもらったことがたくさんありますね。

そうした中で、次の一手として店舗のリニューアルを決断しました。
もともと震災前からお店の改装は検討していたのですが、大きくコンセプトやテーマを変更。創業当時は海苔・乾物専門でしたが、様々な商品を取り扱う方向に転換しました。ECサイトを活用したネット販売などにも注力。
震災後に得た人との繋がりの影響も大きかったと思います。

平成25年に完成した新店舗。「家族の幸せづくり笑顔問屋」がお店のコンセプト。
平成25年に完成した新店舗。「家族の幸せづくり笑顔問屋」がお店のコンセプト。

昔も今も事業の核は海苔。目指すは県内1番

震災を経て、人との繋がりの中から仕事に面白さとやりがいを得た、と語る小迫さん。精力的に業務をこなす中で、これからどんな将来像を描いているのでしょうか。

ーー今後の夢や展望はありますか?

小迫
:今年の5月に「相馬あられ」の事業継承をしたんです。相馬あられは、相馬市の80年もの歴史がある老舗の会社が作ってきた、海苔でぐるっと巻かれた大判の揚げせんべい。歴史ある商品なのに、今の代で辞めると聞いて。

相馬あられは、海苔に付随した商品です。僕は海苔をもっと身近に感じてほしいし、美味しい海苔を知ってほしい。相馬あられはその一翼を担ってくれる、絶やしては勿体ないと思い、引き継がせてもらいました。

小迫:海苔は製造から販売まで、昔ながらの文化が息づいています。焼きたての海苔は風味がしっかりしていますが、一般的に販売されている海苔は製造から日数がだいぶたっていることが多く、そうすると残念ながら風味も薄らいでしまいます。
海苔にこだわるお客さまもたくさんいるので、要望に応えて、焼きたての海苔を食卓に届け続けたいですね。

他にもサイズの違いや正しい保存方法など、ちょっとした海苔の知識って、意外と知らないですよね。だからこそ、海苔を専門としている私たちが、お客様に届けていきたい。

海苔が身近であるためには、気軽に行って買えるお店があることが大事。地域にならなくてはならいお店、そして、海苔専門店の多い福島県の中でも「海苔と言えば黒潮海苔店」と言われる、福島県No.1のお店になりたいですね。

お聞きした話の端々に、人との出会いや繋がりを大事にし、仕事に向き合ってきた小迫さんの姿勢を感じました。そして、海苔に対する小迫さんの熱い想いをお聞きし、日本人が昔から食べてきた食材だからこそ、本来の海苔の味わいや美味しさを文化として繋いでいきたい、と感じました。
ぜひ、皆さんのご家庭の食卓にも、風味豊かな焼きたて海苔をどうぞ。

店舗情報

(有)黒潮海苔店
〒975-0004 
福島県南相馬市原町区旭町4丁目5
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