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ふるさとの田んぼを守るため。抱き続ける持続可能な農業への想い。|高ライスセンター

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ふるさとの田んぼを守るため。抱き続ける持続可能な農業への想い。|高ライスセンター

南相馬市事業者の想い

文:高田江美子 写真:鈴木宇宙

自然に囲まれ、のどかな田園地帯が広がる南相馬市「高地区」は、古くから農業が営まれてきました。この地で脈々と受け継がれてきた農業の歴史の中で、時代の流れに合わせて柔軟に変化してきた会社があります。平成14年創業の高ライスセンターです。

法人設立当初から代表取締役として経営を担い、ふるさとの田んぼを守るため、さまざまな試行錯誤を繰り返してきた佐々木教喜さんにお話をうかがいました。

時代に合わせて自らも変化する、組織と経営。

「上手くその時代の変化や波にのって、自らも変化しながらやってきた。」という佐々木さん。地域の農業を守り続けるため、個人経営から地域の仲間と協力のもと、農業法人へと転換し持続可能な経営を目指しています。高ライスセンターのこれまでの歩みを紐解きます。

ーー個々人の農業から現在の高ライスセンターの創業まで、どのような歩みだったのでしょうか?

佐々木
:生まれも育ちもこの高地区で、うちでは米を中心に、当時はトマトやキュウリも作っていました。

会社の前身である「高機械共同利用組合」が始まったのが、昭和60年。その頃は、農業の曲がり角でしたね。担い手の減少や高齢化もある一方で、栽培におけるコストは大きくなり、個人で米を作っていても儲からないという状況になってきていました。

高価なトラクターや乾燥機を個人で購入するのではなく「みんなで購入して共有しよう」という考えから、地区の仲間たち9名で任意組合の「高機械共同利用組合」をスタート。当時、行政側でも、個別営農方式から集落営農方式への転換を推進し始めていたということも、後押しとなりました。

組合を運営していく中で、メンバーの世代交代もあり、より経営しやすく持続可能な組織を目指し、平成14年3月に「有限会社高ライスセンター」として法人化しました。
任意組合の時代は世代でいえば中間層だったんですが、法人化の際の代替わりで年齢は一番上に。そして、社長として就任しました。

ーー社長になったことで感じた、経営における苦労などはありましたか?

佐々木
:当たり前だけど、会社だと給料制で、給料を払うためにはちゃんと儲けなくてはならない。苦労っていう訳ではないけど、どうしたら会社が収入を得られるかを考えないと、従業員みんなが路頭に迷ってしまう。従業員は生活掛けて働いてくれているんだから、それを守る責任があると思うんです。一番大変なのはその辺だけですね。

ーー農業においては高齢化も問題と言われていると思うのですが、いかがですか?

佐々木
:法人化したばかりの頃、それまで一緒にやってきた先輩たちが一度に3名も辞めてしまうことがありました。「なじょすんだ(どうしよう)」と急いで採用活動をしたところ、若い世代が応募してくれました。農業を全然やったことが無いという状態で、教えるまでが大変だったけど、今は覚えてやってくれています。
現在は自分を入れて従業員は8名です。今は、30~40代が中心で、20代も働いていますよ。

若い人を新たに入れて農業を教えていくということも、経営を継続するためには大切なことだね。

規格外の小麦も無駄にはしない。南相馬のご当地うどん「多珂うどん」の誕生

地域での持続可能な農業経営を目指す佐々木さんの変化は、組織づくりにとどまりません。米専業から、それぞれの作物の特性を生かし育てる米・小麦・大豆のハイブリット農業へ。生産する作物も試行錯誤を繰り返してきました。

ーー高ライスセンターではどういったものを生産しているのですか?

佐々木
:最初は米のみだったけど、今は米と小麦と大豆を生産しています。
任意組合を設立した頃は、米を作るほうが収入面で良かったんだけどね。減反政策と転作推進がはじまって、米を作り過ぎるとペナルティを課せられるようになって。政策にしたがって小麦を始めました。

小麦を始めたのは良かったんだけど、6月に収穫した後、夏場から次の作付の10月まで、雑草が生え放題になってしまうという問題が出てきてしまって。「困ったなぁ、なじょすっぺ」と思っていたところに、行政の農業者普及指導で大豆を勧められて。それをきっかけに、大豆作りも始めたんだよ。

ーー政策の影響なども受けながらはじまった小麦と大豆の生産ですが、最初の頃はうまくいったのですか?

佐々木
:思いのほか、大豆は最初から上手く作れたんだな。1年目で、県の当時の平均収量が130kg程度に対し、240kg程度収穫できてね。「これは!」と思ったよ。あれが失敗だったら、その後は二度と作らなかったと思うね(笑)。

小麦も最初から収穫は出来ていたんだけど、規格検査で問題があってね。
麦には規格検査というのがあって、1等・2等の規格から外れると全部「規格外」。規格外になると、出荷できず廃棄になってしまうんです。

はじめた当時は、「規格外」が結構出てしまってね。理由としては、収穫の6月頃は小麦の水分量が高くなりやすく、それが原因で刈取った後の乾燥の行程で、綺麗な小麦色に仕上がらなかったこと。規格検査には「色」もあって、色が規定を満たしていないと、それ以外の項目をクリアしても「規格外」になってしまう。質や味は変わらないんだけどね。
規格外になったら出荷できない。出荷できなければ売れない。結果、経営が成り立たなくなってしまう・・・。

「なじょすっか」となった時に、色が規格外なだけで、質や味には全く問題がないのなら、小麦を製粉してうどんをつくってみてはどうだろう?と。そうして誕生したのが、「多珂うどん」です。

ーーうどんを製造・販売し始めた当初の反響はいかがでしたか?

佐々木
:それがまた、商品化後に順調に売れたんだよな。自分でも驚くぐらい。この地域において、当時はご当地のうどんが珍しかったのもあるかもしれない。
生産している小麦が「きぬあずま」という、うどんに合う品種だったので、実際に味も良く「美味しい」と感じてもらえたのかなと。

当初は規格外の小麦の新たな使い道からスタートしたうどん製造ですが、今では高ライスセンターを支える商品として成長していきました。

予測不能な困難。会社を継続するための戦い

法人化によって仲間も増え、米と小麦と大豆の2年3作体制も定着。うどんという新たな製品も軌道に乗ったころに、誰もが予想しえなかった事態が起こります。東日本大震災です。絶望的な状況に直面しても、佐々木さんはじめ高ライスセンターの皆さんは、冷静に向き合い懸命に乗り越えてきました。

ーー東日本大震災が起こった際はどうだったのでしょうか?

佐々木
:高地区では、一部の地域で津波の被害を受けました。さらに大きかったのが、東京電力福島第一原子力発電所の事故の被害ですね。

事故直後、南相馬全域に避難指示がでました。ただ、高地区は強制避難区域の20km圏内には入らなかったので、避難後1年しないうちに帰ってくることが出来ました。
戻って来れたものの事故後の放射能の影響で、当時は「米は作ってはいけない」と言われ、小麦の生産から再開をしました。麦は性質上、放射能の影響をあまり受けないので、作っても大丈夫だったんです。その後、3~4年ぐらいは米作りは出来ず、平成26年からようやく再開しました。

その間何をしたかというと、避難して誰も手を掛けなくなった田んぼの草刈りを、行政から仕事として受けて取り組みました。合わせたら400~500ヘクタールもの広さで、今振り返るとよく刈ったなと思うね。全ては、会社を継続させるため。必死でしたね。

ーー当時、小麦の生産・販売には影響はありませんでしたか?

佐々木
:震災後に生産した小麦は放射能検査をしっかりした上で、JAが買い上げしてくれました。でも、数値的にはクリアになっているものの、放射能に対する懸念もあってしばらくはその小麦でのうどん作りは取りやめましたね。

ーーでは、しばらくは多珂うどんの製造・販売はできなかったのですか?

佐々木
:実は、香川県の「夢2000」という小麦を購入して、うどんは製造し、販売は続けていたんですよ。
香川県産の小麦を使っているから安心ですとPRするために、パッケージデザインを変更したり、小麦の仕入代もあって、コストはだいぶかかってしまった。でも、「多珂うどん」自体を無くしてはならないという強い想いで、製造を続けました。

放射能の懸念も無くなり、改めて自分たちが作った小麦で、多珂うどんの製造・販売をスタートできたのは、うどんの製造再開から3年目ぐらいのことでしたね。

ーーそれでは、現在は米も小麦も再開して、震災前の頃まで戻れたのですね

佐々木
:生産することとしては戻れたけど、販売においては大変になっているね。
震災前は学校給食に福島県産の小麦が使われていましたが、震災を機に使用がストップしてしまって。生産している「きぬあずま」や「ゆめちから」は福島県の奨励品種だけど、福島県産小麦自体が売れなくなっています。

米もなかなか大変でね。
新型コロナウイルス感染症の影響で、米が売れなくなっているんです。外食産業の落ち込みによって、米の単価が下がったり米の売り先が無くなる、という事態が、うちだけでなく全国的に起きています。
米については収入保険制度に助けられている部分はあるけど、状況が長引いている中で、今後はさらに経営が大変になっていきそうですね。

今は「売れる小麦を作ろう」ということで、新しい品種へのチャレンジを農場試験場でやり始めたところ。できることから、一歩一歩進んでいくしかないね。

次世代へつないでいくために、自分がやること

時代の変化や困難にもめげず、チャレンジを続けてきた高ライスセンター。「新しい取り組みは決まって、なじょすっぺというところから始まってるんだよ」と語る佐々木さんに、高ライスセンターのこれからについてうかがいました。

ーー今後の目標はありますか?

佐々木
:時代の流れに沿って、会社として農業を続けていければと思っているよ。時代の流れに乗れない会社も、あえてのらないという会社もあるけど、やはり、流れにのっていくのが一番だと、自分は創業からずっとやってきて感じてる。
それによって会社は継続していけるし、地域の田んぼと雇用を守っていけるんだよね。

ーーそこには、自分たちが生まれ育った地域を守っていきたいという想いがあるんですね

佐々木
:俺でなくたって誰だって出来るんだよ、別に。(笑)
誰だって条件合わせてちゃんとやれば出来ると思う。でも、誰かがやらなくちゃならない。

今農業において必要なことは、若い人を育てて持続可能な環境を増やしていくこと。
農業の悪いところってどこか知ってる?
農業の悪いところは、根本的に儲からないってこと。「いかに儲かるようにするか?」を考えて仕組みをつくっていかないと若い人が育たない。若い人だって給料を一般企業や公務員並みにもらえたりすれば、農業は嫌いじゃないはずだよ。
だからこそ、経営者としては、従業員を守れる経営、安定して収入を得られる組織を作ること、それが一番大事だね。

法人化から19年。前身である任意組合時代を合わせると36年。長い歴史の中では、政策の変化や東日本大震災、新型コロナウイルス感染症の影響など、さまざまな困難がありました。印象的だったのが、壁にぶつかった際のエピソードを聞く際に出てくる、佐々木さんの「なじょすっぺ」という言葉。方言で「どうしよう」「どうするか」という意味ですが、佐々木さんの言葉は「なじょすっぺ=どうしよう・・・」という悲観的な意味ではなく、「なじょすっぺ=どうにかしよう!」という前向きな意味に感じられました。
高ライスセンターが届けるお米や多珂うどんには、「この地域の田んぼを守る」という強い想いがギュッとつまっています。

会社情報

特定農業法人 有限会社 高ライスセンター
〒975-0054 
福島県南相馬市原町区高字阿弥陀前8番地
電話:0244-23-5130

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