自然の恩恵に生かされて。白井養蜂園が届ける「ありのまま」のはちみつ
三笠市事業者の想い
文:本間 幸乃 写真:斉藤 玲子
ミツバチが集めた花の蜜から作られるはちみつ。なかでも非加熱・無添加の「純粋はちみつ」は"採集したまま"の味わいが特徴です。
花の種類や産地によって味や風味が変わる「純粋はちみつ」を北海道三笠市で生産しているのが、株式会社白井養蜂園です。養蜂への想いとこれまでの歩みについて、代表の白井隆史さんにうかがいました。
三笠の風土が生むミツバチの財産
白井さんが三笠で作るのは、ニセアカシア※の花蜜からできるはちみつ。はちみつの世界ではニセアカシアを「アカシア」と呼んでいます。
※ニセアカシアは北アメリカ原産の落葉広葉樹で、正式名称は「ハリエンジュ」。アカシアの黄色い花とは異なり、甘い香りのある白い蝶のような花を咲かせる。
ーーなぜ三笠でアカシアのはちみつを作っているのでしょう?
白井:三笠は国内でも特にアカシアが多い地域なんです。かつて炭鉱地として栄えた三笠では、成長が早いアカシアを薪炭材(しんたんざい)として活用したことから、木が増えたとされています。
はちみつを採集するのはアカシアの花が咲く6月上旬です。一定の気温にならないと花は蜜を出さないのですが、この時期の三笠は気温が高く晴天が多いんですよ。
ひと房の花が咲いて散るまでは1週間ほど。早咲きの木もあれば遅咲きの木もあるため、通算で20日間ほどかけて採蜜します。
ーーミチバチが集めた蜜を商品として届ける際のこだわりは?
白井:“採集したまま“の味と風味を届けることです。
群れで生きるミツバチたちにとって、はちみつはいわば「財産」です。子育てや巣の存続のためにミツバチが集めた花の蜜を、巣の中にいる数万匹のはたらき蜂が羽で仰ぎ、水分を飛ばし、熟成させ、「はちみつ」ができあがります。
採蜜時期のはたらき蜂の寿命は約1ヶ月。蜂たちが一生をかけて働いてできたものですから、なるべく手を加えず“ありのまま“を届けたいんですよね。
ーーミツバチはどのように飼育しているのでしょうか?
白井:「蜂箱」で飼育管理しています。ミツバチは箱の中に巣を作り、群れで生活するのですが、箱ごとに個性が現れるんですよ。たくさん卵を産む箱もあれば、蜜を集めるのが得意な箱もある。どの花の蜜をメインで集めるのかも、箱によって若干違いがでます。だからはちみつの味も違うんですよ。
群の状態や能力を見極めながら箱の段数を調整したり、花の時期に合わせてミツバチの数を増やしたり。ミツバチが働きやすい環境を整えるのが養蜂家の役割です。
天候、花、ミツバチ。3つのコンディションが揃っていないと、はちみつって採れないんですよ。
はちみつを採集した後は、子育て期間に入るミツバチを外敵から守るのも重要な仕事です。外敵とは、例えばスズメバチやミツバチに寄生するダニ。特に気を配るのは農薬です。周辺の散布情報を集めて、農薬を撒き始める前に、借りている国有林に蜂箱を避難させます。
一年を通してはちみつが採れる期間はごくわずか。ミツバチを守る期間がほとんどですが、自然の状況やミツバチの様子に目を配ることで、「はちみつ」という恵みを与えてもらえるんです。
師弟関係から表出した弱さと向き合う
北海道ではちみつを採集・養蜂を行う白井さんが生まれ育ったのは大阪市。養蜂を始めたきっかけは、ある養蜂家との出会いでした。
ーー白井さんはなぜ養蜂の道に?
白井:高校卒業後に就職したものの、いろいろと行き詰まってしまって。22歳の時、かばん1つで放浪の旅に出たんです。道中の長野で偶然出会ったのが、移動養蜂家の看板。「これは面白そうだ」と心が動きました。小さい頃、叔父が趣味で飼っていたミツバチの記憶も重なったのだと思います。
看板を頼りに養蜂家に会いに行き「働かせてほしい」と直談判しました。
ーーすごい行動力ですね。
白井:「このままではダメになってしまう」と思ったんです。あいにく長野の養蜂家は高齢で弟子をとっておらず、代わりに紹介してもらったのが福岡にある藤井養蜂場でした。23歳の時に入門し、養蜂の技術を学びながら6年働かせてもらいました。
ーーそこから独立を?
白井:それが僕は不義理をしてしまって‥。養蜂の世界では、入門した養蜂場の親方から、蜂と蜂の置き場所、すなわちはちみつを採る場所を分けてもらい独立するのが通例です。でも、僕は親方を乗り換えてしまったんですよ。
藤井養蜂場からの要請で手伝いに行った先の親方が、おおらかで話をよく聞いてくれる人で。福岡には戻らず、そのまま手伝い先の親方に付いてしまいました。その親方、鵜川さんとは10年以上寝食を共にしましたね。
ーー養蜂業界は自由なイメージがあったので、師弟関係があるのに驚きました。蜂も蜂の置き場所も「引き継ぎ」で、簡単に独立できる仕事ではないのですね。
白井:蜂の置き場所は「蜂屋の命」なんですよね。生活の糧を得るために命がけで守ってきた場所ですから。時間をかけて信頼関係を築かないと、引き継がせてはもらえないんです。
ーー白井さんは鵜川さんの場所を引き継いだのですか?
白井:そうですね。40歳の時に、高齢を理由に引退された鵜川さんから場所を引き継ぎました。
ただ、僕が想像していたような引き継ぎではなかったんです。
弟子は僕一人でしたし、10年以上働いてきたので「鵜川さんの場所は全部もらえる」と思っていました。でも実際は、仕事を手伝ってくれた周囲の同業者にも場所を渡して、僕が引き継いだのは一部だったんです。
その後、思い通りにならなかった苦しさで体が動かなくなってしまいました。その時が一番辛かったですね。暗中模索する日々が2年ほど続きました。
ーー2年はしんどいですね。そこからどのように立ち直っていったのでしょうか。
白井:最初は「僕はこんなに親方に尽くしたのに」という怒りが大きくて、「親方が僕にしてくれたこと」には全く目を向けられていなかったんです。
どうにか出口を見つけたいと、病院やお寺に足を運んで出会ったのが仏教の「内観」でした。自分の心をひたすら省みる時間を過ごして「こんなにお世話になっていたんだ」と気づけたんです。見方や考え方を変えることで気持ちが楽になり、引き継ぎも納得する形で整理が付きました。親方との関係も修復できました。
親方との関わりから自分の課題が表出したように、「自分とはどういう人間なのか?」養蜂業から教わりながらここまで進んできましたね。
ミツバチも人も作物も、平和に暮らせる生き方を
2007年に親方の場所を引き継ぎ、「白井養蜂園」として独立した白井さん。春〜夏は東北・北海道で採蜜、秋〜翌春は鹿児島で蜂群の越冬・養成と、一年を通してミツバチと旅をするようになりました。
2020年からは次男・郷志(さとし)さんも家業に入り「大きな支えになっている」という白井さん。30年以上ミツバチと過ごす中で、見えてきた課題があるといいます。
ーー今後の夢、構想はありますか?
白井:これからもミツバチが働きやすい環境を整えて、安定した量と質のはちみつを届けるのが第一です。そのために、ミツバチをいつどこに置いても安心な環境を作りたいんですよね。
この仕事で一番辛いのは、ある日突然ミツバチが大量死してしまうことです。人里で飼育しているため、近隣の農地から農薬の影響を受けてしまうことがあります。前もって散布の時期が分かれば避難できますが、死んでしまってから原因が農薬だったと分かることもあります。
ミツバチの死に直面するたび、人間社会を支えるために犠牲になる命があることに、疑問や無念を感じるんです。
ーー今後養蜂園は郷志さんが継ぐのでしょうか?
白井:そうですね。郷志に継ぐ気持ちがあるなら、いずれ僕は支える側にまわりたいと思っています。
郷志さん:僕は父と考え方が似ているんです。「安心できる環境でミツバチを飼いたい」気持ちは同じ。将来は「蜂を死なせない農業もしたいね」と話しています。
白井:蜂も人間も作物も、みんなが平和に暮らせる生き方ってあると思うんです。ちょうど良いバランスを探ってみたいですね。
「ミツバチから教えてもらったことはありますか?」という質問に「教わるというより必死で“ついていく”感じですよね」と笑顔で答えてくれた白井さん。ミツバチをパートナーのように語る姿から、深い愛情を感じました。
白井さんはこれからもミツバチに寄り添いながら、自然の恵みが生み出すおいしさを届け続けます。
Information
株式会社白井養蜂園
〒068-0353
北海道夕張郡栗山町継立14-23(北海道蜂場)