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「人間はハチと自然の通訳」丸森から届ける地域の恵み

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「人間はハチと自然の通訳」丸森から届ける地域の恵み

丸森町事業者の想い

文:高木真矢子 写真:平塚実里

宮城県丸森町西部、阿武隈川が流れる峡谷沿いから、山道に入った小高い山上にある石塚養蜂園。季節ごとに花を咲かせる雑木林に囲まれたこの地に、ミツバチが集めた地域の花々の恵み「耕野のはちみつ」を届ける人がいます。千葉県出身の石塚武夫さん。1997年に丸森町に移住して起業し、20年以上養蜂を生業に暮らしています。

自然の中、ミツバチと人の「通訳」として、トチ、アカシア、リンゴ、そばなど常時8〜9種類のはちみつを手がけるほか、地域の取り組みにも積極的に関わる石塚さんに話をうかがいました。

「ここしかない」24歳の決断

丸森町をはじめ近隣の市町村に設置した巣箱から採蜜した、季節ごとのはちみつを一つひとつ瓶詰めする石塚養蜂園のシリーズ「耕野のはちみつ」は、1997年から販売を開始したもの。千葉県出身の石塚さんは、なぜこの地で養蜂を始めることになったのでしょうか。

石塚:学生の頃から農業で食べていきたいという気持ちがあって、千葉の三芳村(みよしむら)にある農業体験に通ってたんです。そこでは、田んぼをメインに体験していて、ゆくゆくはその近辺で就農できればいいかなと思っていました。

ただ、通っているうちに、ひと口に農業と言っても、人と違うものが作れたりしないと、なかなか農村で食べていくのは大変だなと実感して。そのときに、たまたま「養蜂が良い」と耳にして、大学卒業と同時に鹿児島の養蜂業者の見習いに約2年入りました。

ーーそこから、どうして丸森町にいらっしゃったんですか?

石塚:養蜂家はお互いの利益となるように、ミツバチの移動範囲を考慮して養蜂するエリアを調整しているんです。ミツバチが飛ぶ範囲って、直径2〜3キロぐらいなので、大体一つの養蜂園で直径2キロの円で10ヶ所ほど巣箱を置く場所を持っているんですね。

うちは、大きな移動ではありませんが、1月〜春までの期間だけ巣箱を千葉に持っていく方法をとっています。宮城県は養蜂業者が少ないと聞いて、実家の千葉からも通える距離の東北で養蜂を始めてみようと、土地や物件を探すことにしたんです。

今でこそ、移住って大体どこでも施策があったりするけど、25年前に役場行って「移住したい」と話をしても、実際にそんなのは想定していないのが実状でした。「田舎で暮らすなんて大変だよ」みたいなこと言われるのが普通だったんです。

宮城県庁の担当者から、「どうやら丸森町っていうところに移住してる人が何人かいるらしい」と聞いて、パンフレットで見つけた一番年齢が近くて男性1人で味噌を作ってる人のところに連絡もせずに、ふらっと行ったんです。「養蜂やりたくて土地と家を探してる」というと、「いろいろ相談乗るよ」みたいな話になって。この場所を紹介されて、たどり着きました。

来てみたら、この辺りは雑木山だったんです。いろんな種類の木があるので、季節ごとに何かしら花が咲く可能性があった。標高も200mちょっとくらい。案内される中で「ここはミツバチを飼うにはいいな」と感じていました。

何より、移住する人がいる町なら住みやすいだろうという気持ちもあって、丸森を知ってからは、「ここしかないな」と、この耕野地区に拠点を構えることにしたんです。

新たな出会いとあたたかさ

24歳という若さで期待と不安を胸に、その身一つで丸森町への移住を決めた石塚さん。この地で待っていたのは、想像を超えたあたたかい地域の人たちでした。

石塚:移住当時、20年ぐらい空き家になっていた家に住むことになりました。
当時はお金もないので、家庭菜園でジャガイモばかり育てていたんですが、近所の人たちが「野菜食べな」とか持ってきてくれたり、外から家に帰ると「調理するのも大変だろう」と、玄関に野菜やおふかし、汁物が置いてあったりってのは、もうしょっちゅうあって。
一人で住んでいたこともあり、両隣だけでなく近所の人から、いろいろ食べ物や野菜をいただきましたね。

ーーあたたかい思い出ですね。

石塚:今振り返っても、最初に来たときから受け入れてくれるような雰囲気があったんです。
「養蜂するのに越してきます」って隣近所に挨拶したら、その日に地区の人たちみんなが集まってきたんです。借りる山に来て「どっからどこまでがあんたの範囲だ」「境界をちゃんとしておかないとトラブルになっから」と一緒に土地の境目を歩いてくれて。

その後、どこからかお酒が出てきて、みんなうちに上がり込んで「飲みましょう」と歓迎会になりました。3月上旬頃だったので、4時ぐらいになるともう寒くなってきてみんな帰っちゃったんですけどね。

20年も空き家になっていたからか、建て付けが悪くて戸が閉まらなくて。初日は引越しの手伝いに来てくれていた大学の同期と、戸にブルーシートを貼って寝袋で寝ました。忘れられないですね(笑)。

「ふらっとやって来た、よそ者の自分を受けいれてくれた土地だから、できることはしていきたい」ーーそう地域への思いを語る石塚さん。

開業当時は、はちみつの生産量のバランスも難しく、冬を越す前に完売。不安を抱えながらも、山で採った山菜を販売したり、期間限定のバイトを掛け持ちしたりしながら、少しづつ生産体制を整えていったといいます。

津波で流された巣箱。かかってきた1本の電話

徐々に加工品の開発や販売なども手がけ、養蜂家として着実に歩を進めていた石塚さん。2002年からは、冬から春にかけて、花粉交配用のミツバチと巣箱を宮城県沿岸部のイチゴ農家に貸し出すようになり、軌道に乗りはじめていた2011年3月、大きな衝撃が襲いました。

東日本大震災の津波により、この年に貸し出していた330箱の巣箱は全て流されてしまいました。

石塚:幸い丸森では大きな被害はありませんでした。ここまで愛情を込めて育てたミツバチと巣箱が流されてしまったことはショックでしたが、家や大切な人を失った人もいる。前を向いていかなくてはと気持ちを奮いたたせました。

徐々に周りの状況に整理がつき始める一方、原発事故の風評被害など重苦しい雰囲気が漂っていた4月上旬のある日、石塚さんに一本の電話がかかってきました。

「巣箱、流されたんだって?これからそっちに届けに行くから」

電話の向こうで明るく言い切ったのは、熊本県に住む先輩養蜂家の西岡さんでした。
「ミツバチはどれだけいたって困るもんじゃないし、ちょうど余ってるんだよ。これから出発するから」
慌てる石塚さんをよそにグイグイと話を進めていく西岡さん。


「さすがに宮城まで来てもらうわけにはいかない」
今すぐにでも宮城まで来てしまいそうな西岡さんをなんとか説得し、日本海側で落ち合うことに。車を走らせること7時間、待ち合わせ場所に向かうと、そこにはトラックいっぱいの巣箱と、養蜂の見習い時にお世話になった西岡さんの姿がありました。


石塚:西岡さんとは、鹿児島での養蜂見習いの時に知り合いました。

わざわざ届けてくれるとはいえ、一箱あたり、それなりに値段がつくミツバチの巣箱。
私の予想をはるかに越え、トラックいっぱいの巣箱を抱えて来るなんて・・想像すらしていませんでした。

感謝はもちろんですが、それ以上に驚いてしまって。誰にでもできることじゃない。ただただ、これは西岡さんにしかできないことだと、今でも昨日のことのように思い出します。

ミツバチを育て、巣から蜜を絞り、遠心分離機にかけ、網でこして不純物だけをろ過する。
そして、ろ過したはちみつを一斗缶に保管し、1年間かけて瓶詰めして販売する。
はちみつづくりの一つひとつの工程を、ともに汗を流したからこそ生まれた、ミツバチがつないだ「人と人」との縁が石塚さんを支えました。

当時を振り返る石塚さん(写真左)
当時を振り返る石塚さん(写真左)

「自然の恵みそのままを届けたい」

西岡さんからの激励を受け、巣箱を抱えて丸森町に戻った石塚さん。
台風19号の被害にもあいましたが、これまで関わってきた人たちへの感謝を胸に、養蜂にもいっそう力を注いでいきました。


開業当時から大切にしているのは、「自然の恵みそのままを届けたい」という思い。小売りのためにも、少しずつでも多種類を揃えようと探求を続けます。

ーーさまざまな状況を乗り越えて今があるんですね。あらためて、石塚養蜂園さんのコンセプトやテーマを教えてください。

石塚:実は、特にないんです。
はちみつって、「おいしく取ろう」と思って取ることはできなくて、味には何も手を出せない。ただミツバチが集めてきたものを取るだけなんで、人間がやれることは結構限られてるんです。

だから、ミツバチが集めてきた自然そのままに、なるべく変わらない形で食べる人のところに届けたいとは思っています。

ーー自然やミツバチと人の間に立つ役割、というところでしょうか。

石塚:そうですね。ニュアンスを変えずに届ける、みたいなところは、いわば通訳のような立場ですね。

テーブルには所狭しと試作や世界各国から集めたはちみつが並ぶ
テーブルには所狭しと試作や世界各国から集めたはちみつが並ぶ

ーーそういった中で、さまざまな植物にはミツバチによる受粉が重要だと各種報道やメディアでも拝見しますが、今、世界的にミツバチが減少しているといいます。そんな状況について石塚さんはどういうふうに捉えてらっしゃいますか。

石塚:一番の問題は農薬ですよね。ここ20年くらい、毎年夏になると、うちだけじゃなくて各地でミツバチが死んでしまうという被害があります。過去に「ハチがいなくなる」と報道で騒がれた原因も、夏に田んぼに撒くカメムシ防除のための殺虫剤でした。その被害は割と大きくて、養蜂業界としても訴えてはいるけど、なかなかその声が広がらない。

15年くらい前の報道時も、積極的に訴えた養蜂家はいましたが、電磁波だとかミステリーだとか、違う方向の話と養蜂家の意見と同列にされてしまって。その辺って解決は難しいのかもしれないですね。

ーーとはいえ、危機感は感じていらっしゃると。

石塚:そうですね。加えていうと、気候の変化も大きいですよね。
今年も花の咲く時期がずれていて、どの花も花つきは良かったけれど、その割に蜜が取れなかった。全てがそうとは言い切れないけれど、気候の変化の影響も大きいだろうというのが私の見方です。

「かやの実のはちみつ漬け」アーモンドのような味わいのかやの実とフローラルなトチのはちみつは相性抜群
「かやの実のはちみつ漬け」アーモンドのような味わいのかやの実とフローラルなトチのはちみつは相性抜群

ーー自然と向き合い続けているからこその視点ですね。石塚さんはさまざまな新商品開発にも取り組まれていますが、どんなところから着想を得るのでしょうか。

石塚:商品開発は、何かないかなと探しているうちにたどり着くことが多いんです。
せっかくの国産はちみつを活用しないともったいないなと思って。

ナッツのはちみつ漬けってあるでしょう? それを見た時に、国産のナッツって何かと探している時に「かやの実だな」と気づいたんです。そうしてできたのが「かやの実のはちみつ漬け」です。最近出した「山椒のはちみつ漬け」も、たまたま入った香辛料の店で生の胡椒があって、試したもののうまく味がうつらなくて。他に合うものは・・と模索しているうちに見つけたんですよ。

ーー今後取り組んでいきたいことや目標はありますか。

石塚:今は、直接お客様とコミュニケーションができるお店が欲しいですね。

はちみつって、1回買ってしまうと、なかなかなくならないから、次はコレにしよう、というようになかなか試すことができない。かやの実や山椒のはちみつ漬けみたいに、説明がなければ「なんだろう?」って、わからないことも多いと思うんです。

東京にはそういう店はあるけど、丸森にはないので、試食ができたりいろんな味の違いを伝えられるようなお店を作りたいですね。うちのだけじゃなく、海外にもおいしいはちみつがあります。

はちみつの良さやおいしさを、もっともっと広げていきたいです。

ーー今の時点で計画されてるものもたくさんあって、今後もますます楽しみです。
「人間はミツバチと自然そのままの恵みを届ける通訳。人にできることは多くはないんです」そう言って、穏やかな眼差しでほほえむ石塚さん。
大量生産ではない、一つ一つ手作業で作り上げる石塚養蜂園のはちみつの裏側には、地道に自然と向き合い続ける姿がありました。

決して派手ではないかもしれない。それでも、確かに先を見据え、自然の豊かさを守り届ける石塚養蜂園の挑戦は、今後も「耕野のはちみつ」のようにキラキラと輝き続けていくのでしょう。

〒981-2303
宮城県伊具郡丸森町耕野大高丸一番1−70
電話 0224-75-3533

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