Takibi connect岩見沢市

Takibi connect
岩見沢市

開拓の精神をつなぎ深化する、善生農園 魂の米づくり

takibi connect

開拓の精神をつなぎ深化する、善生農園 魂の米づくり

岩見沢市事業者の想い

文:髙橋さやか 写真:斉藤玲子

食の大地、北海道。今では多くの人を魅了するこの地も、ほんの150年ほど前までは荒野と山林が広がっていました。自然の脅威と隣り合わせの中、先人が大地を切り開き田畑を耕し、命をつないできたからこそ、今の姿があるのです。

岩見沢市小西地区にある善生(ぜんしょう)農園は、開拓時代から130年に渡りこの地で米づくりを続けてきました。5代目の政樹さんは、先人の歩みを尊びながら、こだわりのお米を探求しています。

四国・香川から北海道へ

キリッと晴れた青空のもと、力強く空へ向かって伸びる稲。ゆたかな田園風景の中に建つ納屋で、政樹さんが笑顔で迎えてくれました。まずは、開拓からこれまでの善生農園の歩みについてうかがいました。

ーー善生農園は開拓時代から続く米農家だそうですね。

善生
:1893年(明治26年)に小西和氏さんという方が、農場を設立したことから、この地域での農業がはじまったそうです。時を同じくして、善生農園の初代も入植してきたと聞いています。
最初は7戸ほどで入植し、草木が生い茂る荒地で、木を切り倒しながら開墾していったそうです。切り開いた土地は、馬の力を借りながら農耕具で耕して。飢饉や洪水、寒波なども続き、開拓は困難を極めたと聞いています。

祖父母からも「いろんな人の力で今があるんだよ」と、開拓の苦労話を子どもの頃から聞いてきました。そうした歴史の中で、僕も「この土地に育てていただいた」という気持ちを持っています。

昭和初期の善生農園
昭和初期の善生農園

ーー開拓の苦労話を聞きながら、子どもの頃から「農家を継ごう」という意識は芽生えていたのですか。

善生
:そうですね。漠然と自分も農家になるんだろうと思っていました。

高校から農業系の学校に進学し、卒業後は北海道立農業大学校へ。その後、1年間農業試験場で働きながら品種改良について勉強し、実家に戻って農業に従事しました。2014年、僕が27歳の時に経営委譲して、今に至ります。

善生農園は、お米を自主流通しているのが特徴的なところ。僕の親父の代からはじまりました。きっかけは、食糧管理法※の廃止を機に、農家が自分で作ったお米を自分たちで販売できるようになったこと。少しずつ自主流通を手がけていきました。

この地域って実は、お米の種をつくる育種が主流なんです。でも、父は自分でお米を売って経営を良くしたいという気持ちが強かったんですね。

※食糧管理法とは、かつて存在した日本の法律のこと。戦時下における食料供給の安定を目的に1942年(昭和17年)2月21日に制定され、1995年(平成7年)11月1日に廃止された。

時代に先駆けスタートしたお米の自主流通

「丹精込めてつくったお米を自分たちの手で販売したい」ーー強い思いを持ってはじめた自主流通ですが、その道のりは険しいものでした。

ーー周りは育種を手がける中で、お米をつくって自主流通というのは、風当たりも強かったのかなと想像します。

善生
:いやー風当たりの強さは感じましたね。地域の親子間で交流があっても、うちだけ方向性の違いを感じることは、子どもながらにありました。

資金面でも、突如、自己資金で営農していかなければならなくなったので、苦しかったですね。「うちって貧しいな」と思いながら幼少期をすごしてました。

ーー風当たりが強い中、信念を貫けたのはなぜなんでしょう。

善生
:逃げ道がなかったので、やるしかなかった。父が負けず嫌いな性格だったのもあると思います。当時は“変わり者”として見られていた部分も正直ありました。

今では農家が自分でつくった農作物を自分たちで販売するのは、当たり前になっていますが、当時は先駆け的な存在。その分、苦労はありましたね。

善生:自主流通となると、お米をつくって、精米して、袋詰めして、配達までやっていたので、ものすごく忙しいんですよ。

僕も小学校の3〜4年生くらいから手伝ってました。種まき、田植え、お米の配達。朝五時に起きて、配達にいってから、学校に行く日々でした。土日も仕事。友達には恵まれましたが、密な交流は難しかったですね。「みんな遊んでるのに、俺だけなんで仕事しなきゃいけないの」って思うことも。笑

ーー友達が遊んでいる中、「もうやりたくないな」と思うことはなかったんですか。

善生
:お客さんに直接お米を売ることが、他の家とは違って面白いなと思ってたんですよね。小6の頃には、僕が「ピンポーン」って呼び鈴押して、「お米何キロいりますか」って聞いて、計算してお金のやり取りして。商売というものを肌で感じながら勉強できたので、「継いだらもっと面白いんじゃないかな」って思いましたね。

ーー小学生で、そこに面白さを見出せるってすごいなと思います。

善生
:お米を買ってくれる人と直接交流して、反応を間近で得られたのは大きいですね。経営が安定してからは、養護学校の田植え体験なども実施して。

農作物をつくって終わりじゃなく、売って、食べてもらう。エンドユーザーまで顔を見られるというところに、他にはない面白さを感じたんです。農家を継ごうと思った根底に、その想いがありましたね。

よりおいしく、安心安全なお米を。 探求しつづける5代目

つくって終わりではなく、食べる人に届けるところまでに面白さを見出し、5代目として善生農園を継いだ政樹さん。8年前に経営委譲してからは、よりおいしいお米を届けることに邁進しています。

ーー政樹さんの代になってから変化したことはありますか?

善生
:もっと良いお米、おいしく安心安全なお米をつくろうと、精米施設などの設備投資をしました。お米を生産するのと、精米してパッケージして販売する、というのは意識する部分が異なります。

生産したお米は、ただそのまま販売するのではなく、細かな石や金属などの異物が混入しないよう、管理を徹底しています。せっかく今まで、「おいしい」と思って食べてくれていたお客様の信用を裏切りたくないじゃないですか。約32ヘクタール分のお米を自分たちで精米して、お届けしています。

もうひとつ気を配っているのがお米の保管。お米って新米の時はおいしいですけど、時間の経過とともに味が落ちちゃうんですよね。一年中、新米に近い味でお届けできるよう、専用の冷蔵庫に蓄えています。保管、流通、精米まで手を抜かず丁寧に管理しています。

善生:お米って植えれば自然に育つんですけど、やっぱり“おいしいお米”をつくろうと思ったら、手間も暇もかかる。そうやって手をかけることがイコール、本当の意味での「米づくり」ってことなんじゃないかなって、ある時ハッと気づいたんです。

ーーなるほど、手をかけてこそ本当の意味での「米づくり」。手間暇はどんなふうにかけているんですか?

善生
:堆肥や土も自分たちで手がけています。前年の秋口に収穫した稲藁(いなわら)と、籾殻(もみがら)を使って堆肥をつくるところから始まるんですけど。

まずは、稲藁と籾殻を堆肥化します。繊維が硬い籾殻には米糠や発酵菌を入れて、堆肥化を促進させます。春には稲藁と籾殻をブレンドした堆肥と、珊瑚や帆立の化石をさらに混ぜて、およそ32ヘクタールの水田全てに散布。それが土づくりのスタートです。苗を育てるための土も籾殻堆肥を活用して、自分たちでつくっています。

籾殻と米糠と発酵菌で作った堆肥で、春に稲藁堆肥とブレンドする
籾殻と米糠と発酵菌で作った堆肥で、春に稲藁堆肥とブレンドする

善生:田植えをしたら、夏の防除のタイミングで、海藻エキスをいれて葉脈の流れをスムーズに。おいしいお米が育つように、光合成でしっかり養分をたくわえられるようにするんです。それを秋に収穫して、みなさんにお届けして・・という流れですね。

ーー土づくりから取り組まれているんですね。お米づくりで、化石や海藻エキスというのは初めて聞きました。

善生
:凝り性なんでしょうね。気になったらやってみたくなる、探求したくなるんです。
最初は1ヘクタールだけチャレンジして、うまくいったら全体に。

実際にチャレンジしてみると、収穫量とかの数字もすごく変わるんですよね。海藻エキスは2021年に試して、平均的に収穫量が増えたので、自分でもビックリしました。代替わりしてからの8年間、いろいろ考えながら取り組んでます。

ーー色々と前向きにチャレンジしている印象を受けますが、正直しんどいなと感じることってないのでしょうか。

善生
:3月の頭くらいから、土づくりがはじまるんですけど、配達もあるしで、3月から5月の田植え終わりまでは死に物狂いですね。

3月だと岩見沢はまだ雪があるので、2月後半に雪割りからはじめて、雪をとっぱらってアスファルト出して。土を広げて、乾かして、ふるいにかけて。その間にまた雪が降ったり、天気も悪いんですよね。
その期間、僕は配達にも出られなくて、お客さんと触れ合う機会もないので、モチベーション保つのがやっと、という感じです。

ーーお客様との関わりって、モチベーションにつながるんですね。

善生
:そうですね。直接「おいしい」って言ってもらえるのは、励みになりますよね。
子どもたちの食いつきも全然ちがうって。おかずばっかり食べてた子が、うちのお米にしてからたくさん食べるようになった、という声もいただきました。

ふるさと納税でリピートしてくれる方も多いんです。病院を経営してる方が「病院食に使いたいから」って、月100kgくらい注文してくれたり。

おにぎり屋さんや仕出し屋さん、お弁当屋さんにも卸していて、料理人の方も「間違いないよね」と言ってくれます。人との繋がりの中で広がっていくのがうれしいですし、一方で、生産できる米の量が限られているので、切らすわけにいかない。

「もっと真剣に取り組まないと」と、日々思いながら米づくりに向き合ってます。

香川というルーツを岩見沢でつなぐ

細部にわたる手間ひまを惜しまず生産し、お客様のもとに届けられる善生農園のお米。とどまらない政樹さんの探究心は、これからどんな方向へ向かっていくのでしょうか。

ーー今後、構想していることはありますか。

善生
:まずは、お米の面積を増やすこと。自社ブランドをもっと広げて、老若男女に「おいしい」と喜んでもらえるお米をつくっていきたいです。

実は去年、米糠を使った米油にもチャレンジしたんです。圧搾式といって、ビタミンなどの栄養分がしっかり残る製法で、おいしい米油をつくれないかなと。山口県のメーカーさんにサンプルをお願いしたんですけど、頓挫しました。
それと・・もっと年齢を重ねたら、うどん屋さんをやりたいんですよね。

ーーうどん屋さんですか?

善生
:善生家のルーツが香川県なので。開拓時代には地元を思い出すために、地域ぐるみでうどんを食べる行事もあったそうです。うちの実家でも、手打ちうどんを食べたりしてたんですよね。
地域の文化として残っているものを、未来につなげたいなと。

ーー次々にやりたいことが湧いてくる原動力はどこにあるんでしょう。

善生
:子どもが生まれたっていうのも大きいと思うんですけど。生産者として、地域や消費者のみなさんに、食の安全や健康年齢維持のために、何かできないかなと思って。トラクターに乗りながら、いろいろ考えてますね。

農業人口が減っていく中で、慣行農業で大規模にという方向と、こだわって小規模でという方向と、二極化していくと思うんです。

うちはちょっと変わった農業をやってるんで、お客様にも情報発信して、つながりや選択肢を広げていきたいですね。若い農業者とか子どもたちに向けても、農業について勉強できるような場をつくったり。もうちょっと面積が広がって、人を雇用できるようになったら、同じ志をもった人たちと一緒にやっていきたいですね。

離農する人が増えても、僕はこの岩見沢小西で、農業を続けていきたいです。

「田んぼの向こうの地平線に、太陽が沈んでいく様が大好きなんです。秋になったら黄金色の稲穂に夕日が広がって、きれいなんですよね」と、この土地を愛おしそうに語っていた政樹さん。
「ぜひ食べてみてください」といただいたお米は、こだわりのつまった味わい。何杯でもおかわりしたくなるおいしさでした。

会社情報

善生農園
〒068-0131 北海道岩見沢市栗沢町小西484

  • このエントリーをはてなブックマークに追加