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石狩市

ものづくりにまっすぐ。兄弟で作り上げた、人生を変えるオーダー ソファblocco

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ものづくりにまっすぐ。兄弟で作り上げた、人生を変えるオーダー ソファblocco

石狩市事業者の想い

文:三川璃子 写真:飯塚諒
 
テレビをみるとき、家族と語らうとき、横になって休みたいとき。暮らしのさまざまな瞬間に寄り添うソファ。
 
石狩市に工場を構えるbloccoは「品質」にこだわり抜いたソファブランドです。業界では珍しい、生地や座り心地が選べるオーダーメイドスタイルが自慢。1953年(昭和28年)創業の沼田椅子製作所から、2022年にジョンソンホームズに合併し、このスタイルに辿り着くまでには紆余曲折の物語がありました。
 
「マイナスのスタートだったけど、二人だから強気でいられた」と語る営業本部長の沼田英司さん(兄)と工場長の沼田雄三さん(弟)に、兄弟で挑んだ新たなブランドづくりと込められた想いをうかがいました。

左:沼田雄三さん(弟) 右:沼田英司さん(兄)
左:沼田雄三さん(弟) 右:沼田英司さん(兄)

どこにも負けない品質のソファを。祖父が築いた沼田椅子製作所

bloccoの前身は英司さんと雄三さんの祖父である、故・沼田豊治さんが創業した沼田椅子製作所。1975年 (昭和50年)には全日本優良家具展内閣総理大臣賞を受賞し、「北海道随一の品質」を誇りました。

ーーまずは創業の背景から教えてください。
 
英司:創業は私たちの祖父です。戦後に東京で学んだ椅子修理のノウハウを活かして、地元の札幌で個人創業したと聞いています。当初は家の軒先くらいの小さな規模からスタートしたそうです。

「祖父の家に遊びに行くと、チラシの裏にソファのデザインや断面図が描かれていたよね」と思い出を語るお二人。
「祖父の家に遊びに行くと、チラシの裏にソファのデザインや断面図が描かれていたよね」と思い出を語るお二人。

ーーお二人は小さい頃工場に遊びに行かれたこともあったのでしょうか?
 
英司:そうですね。僕たちが物心ついた頃には、確か職人さんは100人を超えていたと思います。家具について祖父と話したことはないけど、高品質な製品を追求していたのだろうと想像します。
 
雄三:僕たちが生まれる少し前、1975年に全日本優良家具展内閣総理大臣賞をとって、すごく勢いのあるときでしたね。
 
ーー当時印象に残っていることはありますか?
 
雄三:小学校の自由研究で、職人さんに教えてもらいながら椅子をつくったんです。兄がテーブルをつくって、僕は椅子。それぞれ作品がぴったりはまるようにね。
 
英司:大きすぎて、結局学校には持っていけなかったんだけど(笑)
職人さんのおかげで、大人になるまで使えるほど立派なものでした。
 
ーー幼少期のものづくりの思い出が今につながっているのですか?
 
雄三:正直なところ、昔は祖父の会社で働きたいと思ったことはなかったんですよね。私も兄も本州で全く別の仕事に就いていました。それが偶然同じくらいのタイミングで、北海道に帰ってきたんです。
 
英司:「帰ってきたなら工場を手伝って」と声をかけられ、今に至るという感じです。

安価な製品が溢れ「技術」が捨てられる時代に

二人が沼田椅子製作所に入った2000年頃は、家具市場が変わる苦しい時期に差し掛かっていました。安価な中国製品が溢れ、品質よりも価格が重視される傾向に。祖父の代から受け継がれてきた、職人の技術が断たれていく光景を目の当たりにしたと言います。
 
 
英司:入社した頃は、会社の経営もかなり厳しい状況でした。市場の変化が大きく2代目だった父は、その狭間で苦労したと思います。
 
安価なソファに人気が集まり、僕らのように手間ひまをかけた高価な商品は廃れていきました。祖父の代から一生懸命、丁寧なものづくりをしてきましたが、生き残るためには工程を省き安い製品を作らざるを得ない状況でした。
 
ーー市場が変わり始めた時期だったんですね。その状況を変えようとお二人が声を上げたのですか?
 
雄三:持っている技術は、絶対に捨ててはいけないと思いました。何年も技術を使わずにいたら、失ってしまう。売れなくてもいいから、丁寧なものづくりを続けなければと思ったんです。

特別に見せていただいた職人さんの現場。素早い手際と、丁寧な作業に驚きの連続でした。生き生きとした職人さんの姿に、仕事への誇りを感じます。
特別に見せていただいた職人さんの現場。素早い手際と、丁寧な作業に驚きの連続でした。生き生きとした職人さんの姿に、仕事への誇りを感じます。

英司:僕たちに仕事を教えてくれた職人さんたちも、モチベーションが低くなっていました。ものづくりに真摯に向き合えていない感覚があったのでしょう。
夢を抱いて入社してくる若手もどんどん辞めていきました。
 
雄三:「このままじゃ絶対ダメだ」と、2人で話あって出した答えが、工場直販でした。
 
ーー思い切った決断ですね。会社や周りの方の反応はどうでしたか?
 
英司:猛反対でしたね。当時家具の直販は業界的にはタブーでした。
 
それでも生き残る道は直販しかない。良質な製品をつくって、少しでも手の届く価格でと考えて、決断しました。
 
雄三:きっかけは、ソファを買いにきた社員の友人のひと言でした。当時は品質を落とした製品が増えていましたが、中には質の良いものもわずかに残っていたんです。そのソファをみた時に「やっといいものに出会えた」って。
 
全ての人が安価な製品だけを求めているわけじゃない。それなら、やるしかないじゃんって思いましたね。

成功までは手を止めない。反骨心が原動力に

2006年に直販ソファブランド「blocco」を立ち上げた二人。スタート時は沼田椅子製作所の社名は出さず、製品の準備から発送、販売促進も二人だけで行ったと言います。「地獄の始まりでしたよ」と語るお二人ですが、ブランドの立ち上げから1年で、地道にお客さまを増やしていきました。
 
英司:直販と言っても店舗は出せないので、まずは通信販売でスタートしました。通販用のWebサイトから撮影まで、全て二人だけで手がけてオープンまでに3ヶ月くらいかかったのかな。
倉庫に眠っていた中から品質の良いソファをひっぱり出して、手直しして5商品くらいから販売開始しました。
 
英司:Webサイトは無事オープンできたものの、最初は全く売れませんでしたね。
 
雄三:素人が作ったサイトなんで、すぐに売れるわけがなかったんですよね。ネット通販は怪しいと思われてた時代だったこともあり、10万円以上するソファの販売はハードルが高かったですね。
 
ーー商品が売れるようになったのはいつ頃ですか?
 
英司:1年ぐらい経ってからです。メーカー直販という文字を見て「こんなことできませんか?」という問い合わせを少しずついただくようになったんです。
 
当時は売上ゼロでしたから、問い合わせだけでもめちゃくちゃ嬉しくて。要望にはなんでも応えようって。結果的にお客さまの満足度にも繋がって、評価の高いレビューを見た人から、徐々に問い合わせが増えていきました。

雄三:いざ送り出す段階で商品の仕上がりに納得がいかなかった時には、納得がいくまで自分でやり直して出荷するようにしてました。
 
英司:大切にしたのは自分たちの納得がいく、完璧な状態のソファを届けること。通販サイトでは一度もクレームが入ったことはありません。
 
 
ーー軌道にのった通販から店舗販売を始めた理由は?
 
英司:「試したい」という声が非常に多かったんです。文字情報だけで、座り心地を伝えるのも難しくて。長い年月を共にするソファを試さずに買うのは、お客さまにとっては大きな不安を感じる部分ですよね。大きな買い物ですし。
 
実店舗を構えるのは、ハードルが高い。それでも試せる場所を、と思って始めたのが工場の空きスペースを利用した週末だけの展示会です。
 
雄三:床に簡易的なフローリングを敷き、白い壁を立てただけの即席店。それが石狩店の始まりです。

英司:人が来にくい立地なので、なんとか知ってもらおうと、仕事が終わってから夜な夜なポスティングにも行きました。
 
雄三:チラシデザインもコピーも全部自分たちでやったね。おかげで展示会にはかなりの人が来てくれましたよ。通販サイトを見て遠方から来てくれる人もいて、うれしかったですね。
 
兄弟二人でbloccoを立ち上げ走り続けた1年半。ついに会社からの公認を受け、二人のものづくりへの想いが少しずつ社内に伝わっていったと言います。2023年現在は、石狩工場本店の他道内に3店舗(内1店舗フランチャイズ)、関東に1店舗を構えるほどに成長しました。
 
ーー反対の声も多かった中、二人がここまで走り続けてこられた原動力とは?
 
英司:最初は純粋に「お客さまを喜ばせたい」という気持ち。想像を超えるソファを届けて、お客さまを満足させたい、という気持ちが強かったですね。
 
一方で粗悪な製品に対する反発心があったのも事実です。日本にいるからこそ、日本の職人技術の高さや品質の良さは伝えるべき。
 
おかしいと思ったことは、直したい。反骨精神ですね。

雄三:家具職人さんたちはすごい技術を持っているんです。でもそれを放棄した時期を僕らは目の当たりにした。それが本当に悔しかったし、自分たちはものづくりに真摯に向き合っていこうと。
 
ーー兄弟であるお2人だからできたこともあったと感じますか。
 
英司:1人だったら多分心が折れたタイミングはあったんじゃないかなと思いますよ。二人だから強気でいられたのかもしれない。
 
雄三:二人の得意がそれぞれ違うっていうのも良かったと思いますね。

ものづくりの楽しさを未来へ

二人が名付けたブランド名「blocco」はイタリア語で「カタマリ」を意味する言葉。良い素材、良い部品のカタマリであること。そしてお客さまと作り手の想いもひとつのカタマリとして「ずっと暮らしの真ん中でありたい」という願いが込められています。bloccoが描く未来とは。
 
ーーbloccoの名前に込められた「想い」はみなさんに浸透していますか?
 
英司:工場では特に自分ごととして捉えてくれている印象ですね。僕たちが何か想いに反することをすれば、逆にみんなに指摘されるくらい。
 
雄三:適当なことを言うと職人さんたちにも怒られちゃいますね。

ーー今後のbloccoの展望を教えてください。
 
英司:工場の担い手が減ってきて、平均年齢は52歳くらい。継承されるべき技術が失われる可能性が出てきています。
 
次の世代につなぐには、ものづくりの楽しさを伝える必要があります。
 
製作体験を実施していて、1日でスツールやベンチがつくれるんですよ。職人さんから教えてもらうので、本格的。ものづくりの楽しさを体験してもらいたいですね。
 
ーーものづくり体験のページを見させてもらいましたが、すごく面白そうでした。
 
雄三:食べものが人の手でつくられている認識はみんな持っていると思うんですけど、ソファや家具は工場のイメージが強い気がするんですよね。
 
製作体験を通して、お客さまがいつか自分のソファをイチからつくれるようになったらうれしいですよね。

英司:さらに今後は「環境や人に優しいソファづくり」ができたらいいなと思っています。
 
ソファは木や牛の皮、鳥の羽など、動物の命を削って、つくらせていただいてるんです。これからは、もっと地球に優しい新たな素材を取り入れなければ。ものづくりの技術を守りながら、環境も守っていきたいですね。

苦しい時代のお話も終始楽しく語ってくれたお二人。兄弟の仲の良さが伝わってきました。それぞれの存在に助けられながら、決して捨ててはいけない「ものづくり」の大切さに向き合い続けてきたのだと感じました。

取材時に座らせていただいたたくさんのソファ。それぞれ座り心地や感触、設計が違うものの、全身をしっかり受け止めてくれる丈夫さを感じます。その丈夫な造りに、ほっと心も身体も自然と力が抜けてしまうほど。
 
 
抜かりないこだわりと技術でお客さまに寄り添い続ける、bloccoのソファ。あなたの暮らしのそばに、いかがでしょうか?

店舗情報

オーダーソファblocco 石狩工場店
〒061-3242
北海道石狩市新港中央3丁目760−6
  電話 0133-64-9770
​営業時間​​​​​​ 10:00-17:00
 定休日 木曜日

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