ひつじが先生。 55歳で挑んだ究極のチーズづくり|石狩ひつじ牧場
石狩市事業者の想い
文:髙橋さやか 写真:斉藤玲子
「無いなら自分でつくってしまおう」ーー言葉にするのは簡単ですが、一歩踏み出すのは勇気が必要。ですが、それを軽々と飛び越えて現実のものにしていく人がいます。石狩市に牧場をつくり、搾りたての羊乳から究極のチーズづくりに挑む、石狩ひつじ牧場の山本知史さんです。20年以上にわたってチーズの輸入販売にたずさわる中でたどり着いた、「チーズの中で最もおいしいのは羊乳製チーズ」という答え。羊乳が流通していないのなら自分でひつじを育てよう、とスタートした石狩ひつじ牧場の物語をひもときます。
緑広がる石狩の地で挑むひつじのチーズ
おだやかな住宅街を抜けると広がる、一面の原っぱ。遠くには、ひつじの群れが見えます。車を降りると、陽気な山本さんが迎えてくれました。のびのびと育ったひつじから絞った羊乳で、山本さんはチーズをつくっています。なかなか馴染みのない羊乳製チーズについて、まずはお話をうかがってみました。
ーー羊乳製チーズって食べたことがないのですが、どんな特徴があるのでしょう?
山本:リッチさが全然ちがうね。乳脂肪分が7%くらいあるから、コクがあってクリーム感たっぷり。たまに臭いんじゃないの?なんて言ってくる人がいますが、ズバリ間違いです!
牛乳とは違った濃厚で余韻のつづく味わいが、羊乳製チーズ。チーズ職人にとっては、いつか目指したい境地なんだよね。食べるチャンスが無いのは、日本に羊乳生産者がいないから。だから、材料から自分でつくるしかなかったというわけ。笑
ーーチーズをつくるのに、ひつじを飼うところからはじめるってすごいなと。なぜそこまでしてチーズをつくりたかったのでしょう?
山本:もともと、札幌でチーズ専門店「チーズマーケット」を20年以上営んでいたんだよね。ヨーロッパ中のチーズを食べ尽くすほど各国を回って、羊乳製チーズを食べた時に「なんじゃこりゃ?!」と、その美味しさに衝撃を受けて。北海道でつくれないかとはじめました。
その計画を立てたのが5年くらい前のこと。当時、日本に羊を輸入できる国が5カ国くらいしかなくて。もしかしたら、この先輸入できる国が減ってしまうかもしれないと、ふいに思い「いま輸入しなきゃ」と。神の啓示ですね。
ーー牧場の場所として石狩をえらんだのは、なにか理由が?
山本:札幌は放っといても人が来るから。周りが盛り上がった方がおもしろいでしょ。石狩っていうのは、調べたら東南アジアでよく知られてるキーワードなんだよね。知床、十勝、石狩。石狩と言ったら、石狩平野、石狩川、石狩鍋。そこに、石狩と名前の入ったチーズを加えたいなと。
ゆくゆくは、「石狩 チーズ」で検索して、興味をもってくれる人が増えていくといいし、牧場をやる仲間も増やしたい。石狩の緑の大地に、白いひつじがいっぱいいるって、なんだかいいでしょ。
自分にとっては初めてでも、 世界の誰かはやっている
山本さんが石狩ひつじ牧場をつくろうと決意したのは、54歳の時。30代で理科の先生からチーズの輸入販売業に転身し、20年以上にわたりチーズの道を歩んできました。
山本:学校の先生をやっていた29歳の時に、はじめてヨーロッパにいったんです。そこで本場のワインを飲んで、「こんなに美味しいものが」とびっくりして。当時は、赤玉ポートワインくらいしか知らなかったから。日本で出回っているものは、世界の全てではないと気づいたんですね。
そこから、まずはワインの輸入をスタート。周囲には反対する人もいましたが、妻が「山本くん、三越とかだったらワイン売れそう」と言ってくれたことが支えになり、百貨店などで販売していました。
ある時、温泉旅館のおかみさんたちが、ワインをまとめて買ってくれた時に「こんなにおいしいワインがあるなら、これに合うチーズもあったらいいのに」と言われて。ピーンとひらめいたわけ。そこから、チーズの輸入販売も手がけるようになりました。
ーーそこから20年以上にわたってチーズの輸入販売業をつづけてきたんですよね。
軌道に乗っていた事業から、ひつじ牧場とチーズづくりをはじめて、大変だったこともあるのでは?
山本:そうだね。まず、ひつじを個人輸入したところから大変で。オーストラリアやニュージーランドにあるひつじのブリーダーを訪ねて、30頭の羊を個人輸入しました。これが超大変で、成田空港の動物検疫所内に3週間の寝泊り&外出禁止。やっとのことで津軽海峡を渡って、ひつじを石狩に連れて帰りました。
大切に育てていたんだけど、30頭飼ったうちの10頭がある日死んでしまって。餌となる麦の管理が甘かった。反省して、柵や鍵の管理もしっかりして飼育方法を見直しましたね。あきらめたらそこで終わり。僕は北陸福井県敦賀市出身で、根性あるから。やめたら失敗だけど、やめないで続ければいつか成功する。
僕の友人がよく言うんだけど「山本さんは、はじめてかもしれないけど、世界の誰かはやってることなんだから」って。時間がかかっても、やり続けることで芽は伸びていくんだよ。
比べるのは過去の自分だけ そうすればいつだって全戦全勝
自らを負けず嫌いだと語り、どんなひらめきも形にしていく山本さん。お話を聞いているとそのバイタリティに圧倒されます。
ーーどこからその原動力が湧いてくるのでしょう?
山本:よく寝て、うまいもの食べて、笑うことだね。エネルギーがあるのは、自分のペースで生きて、自分で料理して食べているから。自分で口に入れるものは、自分でつくる。最近は、石狩浜から海水をもってきて塩までつくってるんだ。笑
めっちゃくじけそうになることもあるし、夜に酒飲んでる暇もない。ひつじを相手にしていると、駆け引きがないんだよね。やるかやらないか。獣医学に関する勉強、設備を整えるために必要な土木や水道の知識。全ては、ひつじが僕に与えてくれた課題です。目の前のひとつひとつに向き合ってクリアしてきて、できることがずいぶん増えたね。
山本:8年間やった先生をやめようと思ったのは、生徒に「がんばれ」というよりは、自分が頑張って成果をだしたほうがいいなと思ったんだよね。当時30代前半だったけど、人生の残りは、自分で自分をはげまして、どんどん変えていきたいと思ったんです。
さらに40歳くらいで気づいたことがもうひとつ。昔は、奥さんが美人とか、誰よりも早く一戸建て建てたとか、人と比べてたんです。今は比べるのは過去の自分だけ。そうすると生きれば生きるほど、全戦全勝でしょ。老いるのじゃなく、成長していくという考え方に切り替わりましたね。
ーーその思考の転換は何かきっかけがあったのでしょうか?
山本:うーん、チーズの輸入でヨーロッパに何度もいくうちに、ヨーロッパナイズされたんでしょうね。向こうのスーパーに行くと、レジでは店員さんがみんな座って接客していて、20代と50代の人が友達だったり。オンとオフの感覚がなく、常に同じ精神状態で生きてるんです。オンとオフを切り替える生き方は、僕は精神的にくたびれちゃう。
個々の多様なアイデンティティを認めること、年を重ねても生き生きと暮らしていくこと。そういう価値観で、僕は生きていきたいと感じたんです。
マイノリティな羊乳チーズをメジャーに 石狩の名産に押し上げたい
「老いるのではなく成長していく」ーー山本さんのその言葉に、年を重ねることへの希望が感じられます。石狩ひつじ牧場はスタートして5年。まだまだ広がる山本さんの野望についてたずねました。
ーー今後の展望などはありますか?
山本:これからの目標は、まずひつじ牧場というものを、ひとつの事業として確立し、新規就農者を増やして指導することです。仲間を増やしていきたいですね。
僕は根性とかあきらめない気持ちでやってきたけど、他の誰かが就農する時に根性論ではダメ。販売方法や取引先も含めてパッケージにして、僕が100のパワーでやってきたものを、みんなが10とか20の努力で実現できる方法を確立していきたいです。
この5年で牧場もなんとか形になって、毎日が大変。だけど、大変なのと楽しいのはつながってるし、生きてる間はあきらめない。言われたことだけやってる仕事なんて楽しくないでしょ。もったいないじゃない、せっかくこの世に生を受けて生きてるんだから。
いま先生に戻ったら、いい先生になるかもしれないなぁ。笑 いまはひつじが僕にとって、自分を変革させるための先生であり、人生後半のみちしるべ。日々、人間力を試されています。
羊乳チーズは、日本ではまだまだ知名度が低い。だからこそ、マイノリティなものをメジャーにしていきたいですね。そのためには、誰か革命的な働きをする人があらわれないと難しい。こうして僕がひとつひとつ形にしていくことで、ゆくゆくは石狩地方にたくさんのひつじ牧場が出来て、羊乳チーズが石狩の名産になることが夢ですね。
「この年になったら、若い人に分け与えるのがよろこび。それが人間の成熟」と語る山本さん。取材後に、のどを潤すグレープフルーツと羊乳チーズをスタッフにふるまってくれました。目標だったフランス産ロックフォールタイプの青かびチーズもできあがり、着実にイメージを形にしています。「85歳まではこの事業をつづけていくんだ」と意気込む山本さんと、ひつじたちのこれからが楽しみです。
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