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ふわふわのシフォンケーキが救った店の危機。松月堂4代目の苦悩と復活の軌跡

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ふわふわのシフォンケーキが救った店の危機。松月堂4代目の苦悩と復活の軌跡

本別町事業者の想い

文:三川璃子 写真:斉藤玲子

フワッと香ばしいバターの香りが広がる松月堂の店内。そこには、最中やパイなどバラエティ豊かな洋菓子と和菓子が並んでいます。中でも人気の商品はフワフワのシフォンケーキ。遠方から通う人もいるほどです。

本別町で創業100年以上続く老舗菓子店、松月堂。人々を笑顔にするお菓子の裏側には知られざる苦悩のストーリーがありました。

「周りの人みんなが助けてくれたから今がある」ーー松月堂の存続の危機に立ち向かい、先代の歴史を絶やさずに前を向き続ける、4代目佐藤隆史さんにお話をうかがいます。

創業100年、和菓子から始まった松月堂の歴史

1917年に創業した松月堂。100年という長い歴史はどのように紡がれていったのでしょうか。

ーー松月堂の歩みについてご存じの範囲内で教えてください。

佐藤:
初代は神奈川県出身で、妹が本別町に嫁いだことをきっかけに北海道へ移住したと聞いています。

「松月堂」というお店で住み込みで働き、本別に引っ越したタイミングで暖簾分けという形で創業したそうです。

1938年にはしいたけ最中、しいたけ羊羹などの販売を開始。創業100年が経った現在まで続くロングセラー商品となっています。一方で長い歴史の中では、1945年の本別空襲での店舗全壊など苦難も多くありました。店舗の改装や新店舗のオープンを経て、1995年には洋菓子の製造をスタートしたそうです。

佐藤:
和菓子からはじまり、父の代からは洋菓子もつくり始めました。

父は北海道の老舗菓子メーカー「千秋庵」で修行していたので、洋菓子は少しかじってたんです。さらに松月堂を継いでから、ケーキを本格的に学ぶため、札幌の知人の店に通って修行したそうです。

ーーお父様の姿を見て、ゆくゆくは佐藤さんもお店を継ごうと考えていたんですか?

佐藤:
子どもの頃は全く継ぐ気はなかったです。父はものすごく怖い人で、よく喧嘩もしてました。店の手伝いをしないと怒られることもあって、工場に入るのが嫌だったくらい。

佐藤:気持ちが少しずつ変わっていったのは、高校生の頃かな。お弁当を自分で作るようになって、料理の楽しさに目覚めたんです。「調理専門学校に通おうかな。でもお金かかるかな」って、進路に迷ってた時、父に「俺は店を継いだ方がいいか?」って聞いたんです。

父は「お前の好きなことやれ」と。言葉ではそう言ってたものの、なんとなく父のリアクションから「俺が継ぐしかない」と覚悟しました。

専門学校には行かず、父がお世話になった知人の紹介で、札幌の洋菓子店へ就職し修行することを決めました。

父からの突然の知らせ。がむしゃらに前を向いた2年間

佐藤さんが札幌の洋菓子店で働き始めて約2年。職場では奥様との出会いもありました。幸せに包まれるはずの結婚式当日。佐藤さんは思いがけない知らせを受けることになります。

ーー公式HPで拝見したのですが、佐藤さんが4代目を継ぐことになったのはお父様の病がきっかけだったとか。

佐藤:
結婚式当日、家族を迎えに行こうとしたら父の姿がなかったんです。その時に初めて、父の病気のこと、もう長くないことを知りました。想像もしない、逆サプライズですよ。あの時のことは、いまだに鮮明に覚えています。

佐藤:元々肝臓が悪くて「検査入院するから」って。「結婚式は大丈夫だから」って。電話で話してはいたんです。「結婚式はめでたいことだから」って、心配させないように家族は僕に内緒にしてたんです。

新婚旅行もキャンセルして。働いていた会社にも辞めることを相談したら「すぐに帰った方がいい」と言ってくれて。父の状況を知ってから1週間後にはもう本別に戻っていました。

ーー戻ることに迷いはなかったんですね。

佐藤:
全くなかったです。父には「帰ってこなくてもいい」とは言われてたんですが、ゆくゆく継ぐことは決まっていましたし、自分がやらないと松月堂の名前が消えてしまう。

でも、帰ってからが苦労の連続でした。札幌のお菓子屋さんでの修行も2年しかしていないし、右も左もわからない状態。和菓子を学んだこともありませんし、父から直接教わったこともありません。入院中の父に配合やレシピを聞いて試すのみでした。

すべての商品のレシピを聞けたわけではなく、諦めたお菓子もあったそう。病の進行により徐々に会話も難しくなっていたお父さんは、ベッドの上で動けるときにレシピを書き留めてくれたそうです。

佐藤:
正直、戻ってからの約2年間の記憶はあんまりないです。とにかく「どうにかしないといけない」苦しい期間でしたね。

あんこの炊き方もわからなかったんですよ。父が亡くなった後、本別でパン屋をやっていたおじいちゃんが、「教えてやるか?」って声をかけてくれて。和菓子も作る人だったので和菓子の基本を教えてくれました。

佐藤:隣町の足寄にあった松月堂の店主からも、いくつか商品のつくり方を教えてもらいました。

長年付き合いのある業者からも「和菓子のことなら、ここで教えて貰えばいいよ」と、旭川の老舗和菓子店を紹介してもらって。1週間カンヅメになって修行して、本別に帰ってすぐ実践して仕込みする。その繰り返しで少しずつ覚えていきました。

近くでずっとうちの店を見てきた人が手を差し伸べてくれた。助けてくれた人たちがいるから、今ここに立てているんだと思います。

子どもの頃の思い出の味、シフォンケーキが店を救う

周りの人に助けられながら、死に物狂いで働いたという佐藤さん。しかし、商品が作れるようになっても先代の頃の売り上げには程遠く、悩む日々が続いたといいます。

佐藤:
店を継いでから、びっくりするくらい売上が落ちました。このままじゃ店を畳むことになってしまうと思って、松月堂の強みは何かを改めて考えることにしたんです。

そこでたどり着いたのが、子どもの頃によく食べていた「しふぉんけ〜き」でした。

佐藤:学生時代、部活やキャンプにシフォンケーキを持っていくと、みんなが喜んでくれたんですよね。それを思い出して、「みんなが好きなシフォンケーキを売りにすればいいんじゃないか?」と考えついたんです。

父のレシピを受け継ぎ、松月堂の一押し商品として売り出すことにしました。

ーーシフォンケーキの仕込みを見せてもらいましたが、焼く前からふわふわの生地でびっくりしました。

佐藤:
シフォンケーキは、ほとんどがメレンゲで決まります。季節によって泡立ち方も違うので、使用する卵白の温度も調整していますよ。

佐藤:卵黄生地とメレンゲを混ぜ合わせる作業は、ヘラを使わず素手で。ゴムベラや手袋も試したけど、どうしても感覚がくるっちゃうんですよね。混ぜる回数も、生地をつぶさないように、その日その日の状態に合わせて。口溶けを左右する大事な作業ですね。

ーー生地は型の中に結構たっぷり入れているんですね。

佐藤:
食べたことのあるお客さんには、よく言われます。うちのシフォンケーキは口に入れるとすぐ溶けてなくなる。「ほとんど空気なんでしょ?」と思ってる人も多いみたいです。でも意外とたっぷり入ってるんですよ。

ーーシフォンケーキを契機に、先代に追いついたと思えたのはいつですか?

佐藤:
掲げていた売上の目標を達成できたのが大体6年前。継いでから約15年かかりましたね。

そこから「自分の代では何やろう」と思った時に、勇気を出して父がはじめたケーキをやめました。時間と気持ちに余裕ができて、他のことに注力できるようになりましたね。

本別に人が流れる、導線をつくりたい

佐藤さんはお店の立て直しに奮闘する一方、本別のマスコットキャラクター「元気くん」をモチーフにした最中を開発。本別のまちづくりにも関わっています。

佐藤:
「本別らしいお土産ってないよね」とお客さんから声をいただいて、外に持っていって本別を知ってもらえるお菓子を考案しました。

佐藤:本別には「元気くん」っていう、町のマスコットキャラクターがいます。2001年に登場したものの、お土産としての商品化はあまり進んでいませんでした。

本別町役場の補助金を活用し、アドバイスももらいながら、元気くんを使った最中を作ることにしたんです。

最中に使用している小豆も、本別で農家の友人が生産したもの。小さなまちだからこそ、やりたいこと、必要なことが共有できる。町内での繋がりから生まれた商品ですね。

ーー今後まちでやりたいことや、構想していることなどありますか?

佐藤:
本別町は小さなまちです。田舎の人口減少は止められないかもしれないけど、観光スポットをつくれば、人の流れはつくれるんじゃないかな。

高速道路を降りてすぐのうちの看板みました?「たかしまであと3キロ」って書いたやつなんですけど。笑
あれは、自分自身が観光スポットになろうと思って作った看板。

(写真提供:松月堂)
(写真提供:松月堂)

佐藤:「何の看板なの?」って言われることも多いんですけどね。
でも、「本別にこんなふざけた面白いやつがいるんだ」って思わせたら勝ちだなと思って。

ーーめっちゃいいですね。

佐藤:
実際にあの看板をみてお店にきてくれるお客さんもいるんですよ。

この間、本別のお祭りに出店した時に、釧路から来たおじいちゃんから「ファンなんだ!」って告白されました。

カメラ目線でポーズをとってくださった佐藤さん。お茶目な部分が垣間見れます。
カメラ目線でポーズをとってくださった佐藤さん。お茶目な部分が垣間見れます。

佐藤:看板をみて、お店に立ち寄って、そしてシフォンケーキを食べてファンになってくれたみたいです。わざわざお店にも祭り会場にも顔を出してくれて。すごく嬉しかったですね。

ーー佐藤さんが描きたい松月堂の未来や展望があれば教えてください。

佐藤:
今後も、いろんな人に本別を知ってもらえるような店づくり、外から人を呼べる導線づくりをしたいですね。

もう一つは、札幌の専門学校に通っている息子が、胸を張って戻って来れるような松月堂にしたい。その準備を。

僕は父から直接教わる機会がなかった。継いだときは本当に苦労した。
だからこそ、息子には最高の状態でパスを出したいです。

シフォンケーキの仕込みから焼き上がりまで、取材撮影の段取りもつくってくださったり、カメラに向かってポーズをとる明るい佐藤さんに終始楽しませてもらいました。

店を継ぎ、経営を立て直す道のりは想像を絶するほど大変だったと思います。「ずっと汚れ役でやってきてます」と、そんな苦労を感じさせない佐藤さんの明るい姿がとてもかっこよかったです。自分のお店を立て直すだけでなく、まちづくりにも熱心に取り組む佐藤さん。今後の活躍も楽しみです。
取材後にいただいた「しふぉんけ〜き」は優しい味で、口に入れると本当に溶けてなくなってしまいました。一人でワンホール食べてしまいそうな驚きの軽さ。ぜひみなさんも召し上がってみてください。

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