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失敗から拓かれる道がある。移りゆく時代を「豆」とともに歩む岡女堂

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失敗から拓かれる道がある。移りゆく時代を「豆」とともに歩む岡女堂

本別町事業者の想い

文:三川璃子 写真:斉藤玲子

「美味しい豆を使って、美味しい商品を」ーー時代とともに人びとの趣味趣向が変わる中、本別町にある岡女堂では「豆」を使ったこだわりの商品を世に届けています。岡女堂は1855年(安政2年)に兵庫県神戸市で創業した、160年以上続く老舗菓子店です。

1988年には、「豆のまち」と呼ばれる北海道本別町に移転。技術とブランドを守り続ける7代目・合同会社 豆屋とかち代表の鈴木真智雄さんにお話をうかがいました。

160余年、愛され残り続ける甘納豆の歴史

岡女堂の店頭には、さまざまな種類の豆を使った甘納豆や豆茶、最中などが並びます。なかでも岡女堂の代名詞と言えるのが「甘納豆」。初代から160年に渡って、基本の製法を受け継ぎながらも、時代の変化に合わせ、甘納豆を守ってきたと言います。

ーー岡女堂の「甘納豆」は、160年以上もの歴史があるとうかがいました。

鈴木:
安政2年に京都の本能寺前でぜんざい屋を営んでいた、初代の大谷彦平が誤ってぜんざいを焦がしたことからできたのが、甘納豆になったと聞いています。大徳寺納豆※からとって、甘納豆と名付けたそうです。言い伝えではありますが、関西では甘納豆の発祥は岡女堂だと言われています。

当時、砂糖は貴重なものでしたから、甘納豆は高級品として扱われていたみたいですね。

※大徳寺納豆とは、納豆菌ではなく麹菌を使用して発酵させ、乾燥後に熟成させたものである。 風味は味噌や醤、中国原産の豆豉に近い。

ーー長い歴史をもつ岡女堂の「甘納豆」はどのようにつくられているのですか?

鈴木:
甘納豆は、豆を煮て、砂糖を溶かした蜜に漬け込んでつくります。出来上がるまでに約1週間はかかりますね。

豆の種類によって煮る時間も変わります。3〜4時間で煮上がる豆もあれば、2日かかるものも。甘納豆は、原材料の状態によって仕上がりが左右されるので、豆を煮て状態をみながら調整していきます。

ーー豆を煮て、1週間も漬けるというのは味を染み込ませるという意味ですか?

鈴木:
そうですね。岡女堂の甘納豆はできあがりから日が経っても、ほくっと柔らかい。蜜に長く漬け込むことで、甘納豆の中の水分が抜けず、みずみずしさが保たれるんです。

鈴木:甘納豆の賞味期限は約1ヶ月で、日持ちするお菓子です。ただ、製造から2週間を過ぎると少しずつ風味が落ちてきてしまうんですね。

だからこそ「時間が経っても美味しいものをつくる」のが、岡女堂のこだわり。時間をかけてじっくり丁寧につくっています。

豆が好きだから、ここまでやってこれた

岡女堂の本館や、隣に建てられた豆ドームは、神戸市にある異人館通りをモチーフにしたそう。神戸の文化が本別のまちに融け込んでいます。神戸で創業した岡女堂は、なぜ本別へ移転したのでしょうか。

岡女堂販売店本館
岡女堂販売店本館

ーー岡女堂が神戸から本別町へ移転することになったきっかけは何だったのでしょうか?

鈴木:
1980年代のバブル期に、企業を誘致してまちを活性化させる、通称「勝手連」というグループが立ち上がったことが転機でした。神戸にゆかりのあった、林さんという方が本別にいたのも大きかったようです。「豆をキーワードに誘致するなら、岡女堂がいいだろう」ということで、話が進みました。

移転する前から、岡女堂では本別の金時豆を材料に使っていたそうです。「質もよかったので変えずに使っていた」と前工場長に話を聞きました。
1988年に実験工房をオープンし、1990年には製造部門を全て本別に移転しました。

岡女堂の本別移転と同じタイミングで入社したという、現・代表の鈴木さん。はじめて出来立ての甘納豆を食べた時の感動は今でも忘れられないと言います。

鈴木:
私はもともと本別出身で、豆農家に生まれました。「豆に関わる仕事がしたい」という想いで、岡女堂に入社したんです。当時、本別工場は立ち上げ準備の段階だったので、入社後はすぐに神戸へ行き、工場で修行しました。

神戸に行って驚いたのは、出来立ての甘納豆の美味しさ。まさにカルチャーショックでした。「これまで食べてきた甘納豆は何だったのか?」と思うくらい、味も食感も違う。インパクトのある甘納豆に感動したのを覚えています。

ーー鈴木さん自身が感動した岡女堂の甘納豆づくりは、どのように学んでいったのですか?

鈴木:
現場でひたすら、甘納豆に向き合う日々でした。マニュアルなんてありませんし、製造現場では「質問してはいけない」というルールのもと、師匠の姿を見て、真似て、試す。その繰り返しでした。

ーー大変そうです・・。

鈴木:
なんというか、私の肌にあってたんでしょうね。
豆を炊くと、味が変わっていく、風味が変わる。出来上がったものは、もう豆ではなくて、お菓子になっている。豆が変化していく過程が好きで、面白かった。

鈴木さんが魅了された甘納豆。ですが、時代とともに消費者が好むお菓子も変化し、甘納豆は全国的に少なくなってきていると言います。

ーー甘納豆が減ってきているのには、どんな時代の背景があるのですか?

鈴木:
洋菓子のブームや、「甘いもの=太る」というイメージが浸透したことが背景にあると思います。

そうした中でも、4代目は「甘納豆で一流のお菓子をつくろう」と、ナッツや蓮の実などさまざまな甘納豆を展開しました。現在では製造していない商品もありますが、今もなお10種類以上の甘納豆を揃えています。

また、控えめな甘さを好む若年層向けに、甘納豆自体も改良しました。基本の製法は変えずに、砂糖の粒の大きさを変えて、舌で溶けにくいようにしました。そうすると、口に入れた瞬間の強い甘さがやわらぐんです。

これまでの岡女堂の技術を継承し、甘納豆本来の美味しさは保ちながら、時代とともに進化しています。

ーー長い歴史をもつ岡女堂ですが、どのような経緯で鈴木さんが継ぐことになったのでしょう。

鈴木:
工場長を担っていたことから、自然な流れで継ぐことになりました。

不安と期待と、両方抱えながらでしたよ。甘納豆を核に、これまで受け継がれてきた商品を守りつつ、新商品も展開していかなければいけない。豆をどう突き詰めていけるのか。

「本別の豆が好き」そして「岡女堂の甘納豆が好き」という気持ちが、原動力になりました。

失敗が新商品のヒントになる

豆への愛が原動力になったと語っていた鈴木さん。ぜんざいの失敗から生まれた「甘納豆」のように、鈴木さんの代でも、失敗から生まれた人気商品がいくつかあるそうです。

ーー新たな商品も展開していますが、鈴木さんが特に思い入れのある商品はありますか?

鈴木:
実は甘納豆と同じく、失敗から生まれた商品がいくつかありまして。今店頭に並べている最中がその一つです。

当初は、きなこねじりを商品化しようと試みていたんですが、失敗の連続で。つくっては捨ててを繰り返して、さすがにもったいない。破棄するきなこねじりを、別の商品と代替できないか?と発想を転換して生まれたのが「きな粉最中」です。

2020年に新発売されたきな粉もなか
2020年に新発売されたきな粉もなか

鈴木:最中に、きなこねじりとあんこが入った商品です。今の時代に合うよう、甘さは控えめに。お茶だけでなく、コーヒーにもピッタリの大人な最中ができました。

ーー「もったいない」という想いが新商品誕生につながったのですね。

鈴木:
きなこ最中の販売開始は2020年5月。ちょうどコロナで最初の緊急事態宣言が出された時期でした。周りには「こんな時期に販売しても売れるわけがないだろう」と言われましたね。

鈴木:案の定、販売当初はまったく売れませんでした。きなこねじりも商品化に成功して、翌月から販売を開始しましたが、売れるはずもなく。

ーー厳しい状況をどのように打破したのですか?

鈴木:
諦めずに最中を宣伝していくうちに、少しずつ問い合わせが来るようになったんです。「この最中、普通とはちょっと違う中身が面白いね」って好評をいただいて、注文も増えるようになりました。

皮肉なことに、きなこねじりよりも最中の方が売れゆきはいいですね。笑
今はきな粉と熊笹の二種類に加え、さくらなど季節のフレーバーを展開しています。

ーー商品が生まれる背景に失敗があったとは。何があるかわからないですね。

鈴木:
私、うまくいかない時こそ楽しいと感じるんですね。
甘納豆をつくる工程は、呼吸のようにできてしまう。大体、豆を煮た時点でどんな甘納豆になるかが分かるんです。

でも、いつも通りやってもうまくいかない時ってあるんです。「さて、どうしようか?」と考える。想像を超えた展開になると面白い。だから、うまくいかない時も大切。失敗がこうして商品につながるかもしれませんから。

美味しい豆でつくる、美味しい商品を

失敗を恐れず、岡女堂らしい商品づくりを進めてきた鈴木さん。今後の展望をうかがいます。

ーー今後構想していることはありますか?

鈴木:
「甘納豆をより美味しく食べられるような商品」を展開できないかと考えています。うちの甘納豆は、パンとの相性がいいと言われます。パン屋さんからすると、“パンを”美味しく食べるための「甘納豆」。でも、私は“甘納豆を”美味しく食べられるパンや、何か別のものができたら・・と思っています。

鈴木:時代の流れとともに、求められる味や商品は変わります。何が売れるか、何がヒットするかは、わからない。それでも、代々受け継がれた製法は変えずに、“美味しく食べていただける”甘納豆をつくっていきたいですね。

ーー今後も継承された技術を守りながら、豆に関わる商品にこだわり続けていくのですね。

鈴木:
どの時代にも共通して言えるのは、岡女堂は「豆」の商品に助けられていること。本別町は豆に恵まれた土地です。今後は本別発祥の中生光黒大豆の商品化にも、力を入れていきたいと思っています。

鈴木:本別町は、豆菓子だけでなく豆腐も味噌も納豆もつくれる事業者さんがいます。豆の加工のまちとしても、広まっていくと嬉しいなとも思っています。

豆本来の風味と美味しさを、最大限引き出すのが私たちが努めるべきところ。「美味しい豆で美味しい豆菓子をつくること」が永遠のテーマです。

本別の豆が好き、岡女堂の甘納豆が好き。鈴木さんの純粋な想いが、岡女堂の歴史をつなぎ、本別の美味しい豆を守ることにもつながっているのだと思いました。

失敗から生まれたとは思えない、伝統の味。どこか懐かしい甘さにふっと力が抜ける、岡女堂の柔らかく優しい甘納豆をぜひ召し上がってみてください。

会社情報

〒089-3305 北海道中川郡本別町共栄18-8
TEL:0156-22-5981

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