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夫婦二人三脚で前を向き続ける。魚常明田鮮魚店80年の歴史と挑戦。

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夫婦二人三脚で前を向き続ける。魚常明田鮮魚店80年の歴史と挑戦。

稚内市事業者の想い

文:三川璃子 写真:小林大起

新鮮な魚や加工品がずらりと並び、隣には地元食材を使った料理が食べられる飲食店も。地元市民から観光客まで、幅広く愛される稚内の副港市場。ですが、2020年3月に経営不振により閉鎖を余儀なくされることに。そんな中、副港市場再興に向けて手を挙げた鮮魚店がいました。創業80年の魚常明田鮮魚店です。

「妻がいたから、前を向いてこれた」ーー2代目を受け継ぎ、約50年間共に魚屋を営み続ける夫婦。魚常明田鮮魚店の明田常臣さんと富美子さん、お二人にお話を伺います。

紆余曲折、厳しい中で受け継いだバトン

終戦後まもなく創業した魚常明田鮮魚店。当時、60坪の土地から物語は始まりました。しかし、魚屋の息子として育った常臣さんは「最初は継ぎたくなかった」と語ります。先代の歴史から、常臣さんに受け継がれるまでを伺います。

ーーお父様から創業の話は聞かれていましたか?

常臣
:終戦後の1940年、「市場を作ろう」というまちの動きがありました。そこでうちも60坪くらいの土地の権利を買い、鮮魚店を始めたのがきっかけらしいです。創業時はここ(副港市場)ではなく、中央レンバイという繁華街でやってました。

ーーお父様から、代を受け継ぐ時はどんな気持ちだったのでしょうか?

常臣
:1963年に2代目を引き継いだんですけど、正直なところ、最初は継ぐつもりがなかったんです。親に「どうしても」と頼まれて継ぎました。なんでか魚屋って魚を売る時に、お客さんにペコペコ頭を下げるイメージがあって。ものを売るために人に媚びを売りたくないと思ってたんです。

でもいざやってみると、自分の性に合ってたんですよね。威勢よく「活きのいいやつが入ったから買ってけ!」って、言えるのが気持ちよくて。お客さんのためを想って売ることの楽しさを感じました。

ーー受け継いだ当初、大変なことはありませんでしたか?

常臣
:楽しい反面、かなり状況的には厳しかったですね。父の残した多額の借金を返済するために、とにかく無我夢中で働きました。家族から今どのくらいの借金があるのかは聞いてなかったので、額はわからなかったんですが。自分がやらないと終わってしまうという気持ちで、とにかくがむしゃら。

そんな中、2002年に中央レンバイが大火災に襲われて、創業時からずっとあった店がなくなりました。T字型で建物が並んでたので、火が回りやすくて。そこらへんの建物は全てダメになりましたよ。幸い亡くなる方は出なかったので良かったですが。

火災後は、JR稚内駅の隣にある北市場で鮮魚店を続けていました。団体旅行のお客さんがよく利用してくれましたね。周りにはどんどん大型スーパーができて、他の鮮魚店は次々になくなる中、こうして鮮魚店を続けているのは不思議なもんです。

副港市場、屋内
副港市場、屋内

夫婦、二人三脚で険しい道を乗り越える

常臣さんが2代目を引き継ぎ、厳しい状況の最中に出会った妻の富美子さん。戦後の荒波に揉まれ、稚内でどん底の生活を送っていたと言います。夫婦になった二人は互いに支え合うことで、ここまで歩みを進めてきたのでした。

ーー富美子さんは、稚内ご出身ですか?

富美子
:いえ、私は利尻島出身です。戦後、父の仕事の関係で稚内に来ました。仕事の関係といっても、いいもんでなくて。うちの父はもともと利尻村の村長をやっていたんです。でも太平洋戦争に負けて、公職追放されました。うちは兄弟が10人もいるので、父が働かなきゃ生活していけなかった。父が稚内に出て、やったことのない水産を始めることになりました。

ーー公職追放は辛いですね…。起死回生を図るべく稚内に来られたんですね。

富美子
:稚内で始めた水産事業は、当初とても順調でした。ですが、1954年の洞爺丸事故※で、船に積んでいたうちの水産物が全て流され、全財産がなくなってしまったんです。そこからはまたどん底。毎日自給自足の生活を送っていました。

※洞爺丸事故:台風第15号により青函連絡船洞爺丸が沈没。日本海史上最大の海難事故

その後、中学を卒業して稚内駅前にあった百貨店で働いていました。そこでちょうど、この人と出会いましたね。

常臣:見合いでもなく、ただ私が一方的に突撃しにいった感じですね。昔の時代では珍しい話ですよ。その勢いが妻の親御さんにも気に入られたみたいで、よかったです。(笑)

2012年頃のお二人のお写真(左)常臣さん(右)富美子さん(写真提供:魚常明田鮮魚店)
2012年頃のお二人のお写真(左)常臣さん(右)富美子さん(写真提供:魚常明田鮮魚店)

ーー素敵ですね。そこから夫婦二人で鮮魚店を営み始めたんですね。

富美子
:私は魚屋で働いたことなんてなかったので、魚の頭を落として、切り分けたり、やったことのない作業に最初は苦戦しました。自分なりにどうやったら綺麗に捌けるか、試行錯誤しながらやっていきました。

ーー常臣さんは、富美子さんと一緒になって変化などありましたか?

常臣
:自分は勢いでなんでも物事を進める性格なんで、どうも細かいことは苦手で。自分のことを特攻隊だと思っています。営業から仕入れ、売り場だとか大きな流れをつくるようなところは自分の仕事。でもその分、自分にはできない細かいところを、妻が全てサポートしてくれてました。お金の管理も全部任せていて、とても支えられましたね。

うちは成功した事業も、失敗した事業もたくさんあります。でも全部、その都度お金まわりを管理して、支えてくれたのは妻です。妻がいたから、自分は辛いことがあっても前を向けたし、次のことを考える時間や気持ちの余裕ができた。自分一人だったらここまで続けてこれなかったと思いますね。

大切にしたいのは「懐かしい味」

約50年以上、夫婦共に営み続けた鮮魚店。二人が市場に立つと、常連のお客さんが次々に集まってきます。長い歩みの中、お二人が大事にしてきたのは「商売は信用」という言葉。魚常明田鮮魚店がお客さんに愛されるのは、商売への誠実さと、商品のこだわりが理由でした。

ーー魚常明田鮮魚店では数多くの商品を扱っていますが、こだわりっている点はどんなことでしょう?

常臣
:「懐かしい味」を保ち続けること。現代にはない、昔の味とか風味を大事にしています。妻が商品のほとんどを監修していて、親から受け継いだ味で作ってくれています。特に、にしん漬けやたら漬けは優くて懐かしい味で、オススメですよ。

富美子:実はにしん漬けみたいな漬物には、レシピがなくて。私の味の記憶と経験で手を動かして作っています。なかなか従業員に同じ味を引き継ぐことができなくて、苦戦してます。

ーー富美子さんの懐かしの味の記憶で商品化されているんですね。

富美子
:商品化する前に自分で作った漬物を兄弟に食べさせたんです。そしたら「ああ、これ母さんの味だね」って言われて。それでこれを商品にしようと思いました。この味をわかってくれる人に届けたいですね。これを食べて、少しでも懐かしさで心があったかくなるような。そんな気持ちになってくれたら嬉しいです。

ーー常臣さんは商品を通して、届けたい想いなどはありますか?

常臣
:うちは本当に胸を張れるものを提供しています。お客さんに不都合があったら、必ず確認して、どんな時でも返品交換するようにしています。ふるさと納税では、配送途中で商品が溶けてしまったことがあって。予想外のことが起こっても、必ずいい状態の商品と交換していますね。

お客さんをがっかりさせたくないんです。信念を持ってこの商売をしてるから。その想いが届いて、ありがたいことにリピートしてくれるお客さんは多いですよ。商売は信用だからね。信用してもらうために頑張るし、信用してくれた人は大事にしたいです。

ーーお客さんとの信頼関係を本当に大切にされているんですね。
コロナでお客さんの足も遠のいているかと思いますが、そうした中で副港市場再興に向けて、踏み切れたのはなぜだったのでしょう?

常臣
:副港市場が閉鎖したのは去年の3月。3年前から少しずつ客足が減り、閉鎖に至ったそうです。その後、今年の4月にうちがここを買いました。私はこの古風な建築が好きで、魅力に溢れているこの場所を失くしたくないと思っていたんです。なので、募集が出た時は迷わず手を挙げましたね。

実は13年前、この副港市場の4分の1ほどのテナントを持っていたことがありました。ですが事業がうまくいかず、撤退することに。かつて失敗したこの場所で、今商売しているのは何かの縁ですね。

うちが今回手を挙げたのは、観光システムを作れる自信があったから。稚内のほとんどの団体旅行会社と契約しているので、コロナが静まって団体旅行バスが復活したら、うちの営業能力が発揮できると思います。それまで、ここが保つつかはわからないですが、やるしかない。やれる自信はあります。「自信がある」と胸を張って言うために、今がむしゃらに頑張っていますよ。

稚内の資源を活かし、ここにしかない面白さを

副港市場の再興に手を挙げ、魚常明田鮮魚店は新たな道の構築に励みます。「昔、どん底を経験したからもう怖いものはないんです」と語る、明田さんご夫婦。今後、どのような未来を描いていくのでしょうか。

常臣
:観光客だけではなく、市民にも喜ばれる場所にしたいという想いで、毎週日曜日に「競り」を始めました。市民が参加できる競りで、毎週ワイワイしてますよ。お客さんが番号の書かれたうちわを持って、値段をつけていくんです。魚だけじゃなく、野菜などの青果も競りに出しています。

毎週日曜日10時から始まる「競り」の様子(写真提供:魚常明田鮮魚店)
毎週日曜日10時から始まる「競り」の様子(写真提供:魚常明田鮮魚店)

ーーなぜ市民に対して「競り」をやろうと思ったのですか?

常臣
:「自分は稚内に住んでいるから、競りに参加できるんだ」とか、稚内に住んでいる誇りみたいなものを感じて欲しくて。ここでしかできない面白いことを、どんどん考えていきたいですね。

ーーこれから、ますます面白くなりそうですね。

常臣
:構想中の面白い計画もあって。面白いことをやりつつ、いかに守っていくか、が私たちのこれからの挑戦ですね。
新しいものばかりを作るのではなく、自然を守り、増やしていくことも大事。稚内はいま水温の上昇などで水産が停滞しています。最北の荒波で育った貴重な魚は本当に美味しい。だからこそ、水産物を守り、美味しいものを安く提供できて、楽しめるような場所を育てていきたいです。

そういう発想を周りにも根付かせていきたいですね。都会と同じようなものを作っても、意味がない。稚内の雰囲気や味を守り続けるため、うちもここを守っていきます。
楽しみにしててください。

富美子:私たちももう70代。これからどうなるかわからないです。ありがたいことに3代目は娘が継ぐことになりました。その娘にも負担があんまりかからないように、今やれることをやっていきます。

「この人本当に正直で、なんでも素直に教えてくれる人ですよ。賞味期限の近いものは正直に伝えて、安く提供してくれる。魚の美味しい食べ方から保存方法まで全部教えてくれて。さすが魚屋さんですよね」と明田さんについて語ってくれたのは、ちょうど通りがかった常連のお客さん。良心的な値段で美味しい魚が食べられるからと、よく利用しているんだそう。

「美味しいものは、なるべく安くみんなに提供したい」と語る常臣さんに、隣で「もう〜だから大変なのよ」と嘆く富美子さん。夫婦二人で、大変な中もこうして歩みを進めていったのだと感じました。

「商売は信用」という言葉を体現し、お客さんのためにいいものを提供し続ける魚常明田鮮魚店。老舗の魚屋ならではの、こだわりの商品をぜひ味わってみてください。

副港市場内にあるてっぺん食堂の魚常特製海鮮丼(1,100円) 安さに驚きです。
副港市場内にあるてっぺん食堂の魚常特製海鮮丼(1,100円) 安さに驚きです。

店舗情報

事業者名 魚常明田鮮魚店
〒097-0021
北海道稚内市港1丁目6−28 稚内副港市場
営業時間 9:00〜15:00(夏季 9:00〜17:00)
電話  0162-23-3410

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